卒論まとめ(論文提出までの軌跡)
本記事では研究室配属から卒業論文提出までの大まかな流れを説明したいと思う.スケジュールや研究の進捗状況などを時系列順にまとめる.ちなみに句読点が「、。」ではなく「,.」になっているのは論文執筆の都合上,IMEでデフォルトを「,.」に変更したからである.卒論最終版提出までは切り替えが面倒なのでこの設定を維持すると思われる.違和感があるかもしれないがご容赦いただきたい.
公開できる範囲のギリギリを攻めたつもりではあるが,公の場では絶対にかけないような内容もあるので,気になる人は直接かせがおの中の人に聞いて欲しい.
全体像
9月28日
配属後初回のミーティングが行われた.ミーティングというよりは顔合わせといった方が適切かもしれない.ちなみに研究室同期の彼とはこのとき以来連絡をとっていない.たまにTwitterでファボを飛ばし合うのが唯一のコミュニケーションだ.
話が逸れたが,この顔合わせでは研究室で扱っているテーマの紹介が行われ,各々自分がやりたい研究テーマの大まかな分野を決定した.その後,その分野に関する先代の修論が渡され,しばらくはそれを読むことになる.私は量子制御の分野を選択した.
9月28日〜10月6日
渡された先代の修論を読んでいた.確率微分方程式あたりの知識は全くなかったので,そのあたりの勉強などもしていた.
10月7日
実質的な初回ミーティングが行われた(前回のはただの顔合わせなので0回目としている).詳細は伏せるが,今後卒論を提出するまで研究室のボスとは別に事実上の指導教員となるJK様が登場する.以降のミーティングは私とボスとこのJKの三人で行うことになる.今回は量子制御に関する基礎的なレクチャーを受け,最後にJK氏から最近出た面白そうな論文というものを投げてもらい,しばらくはそれを読むことになる.
10月7日〜
先の章で述べた通り,しばらくは「最近出た面白そうな論文」を読むことになったのだが,如何せん量子情報に関する知識をなに一つ持ち合わせていなかったので,論文の内容が微塵も理解出来ない.さらにはこの論文Letter形式というわけではないが,Letter形式並みの情報量しか記述されていなかったので,恐ろしいほどに分かりづらかった.しばらくこれと格闘することになる.
10月9日〜10月22日
実はこの間合宿免許で山形にあるぶーぶー学校に滞在していた.合宿免許については別途まとめているので,そちらを参照してほしい.
この間二回ほどミーティングがあったが,圧倒的に量子情報の知識が不足しているので勉強していますと正直に伝えて,これといって研究に関する進展はなにもなかった.
10月23日〜
ある程度基礎知識もついてきたので例の論文の解読を進めた.とはいえやはり知識不足は否めないので,必要に応じて適宜勉強しながら読み進めていった.
10月28日
4度目の研ミ.読み進められたところまでを説明し,おかしなところを突っ込んでもらった.
10月29日〜11月7日
病に伏していた.高熱・寒気・関節痛・クソデカぽんぽんぺいんを抱えていたのでインフルかと思ったが,どうやら食中毒だったらしい.前日夜に行った焼き鳥屋がよくなかったらしい.しばらく鶏恐怖症になる.
11月1日あたりから徐々に勉強を再開できたが,本調子を取り戻すには10日ほどかかった.11月2日に予定されていた研ミは中止してもらった.ちなみに11月3日は #かせがお生誕祭2020 だったのだが,with ポンペ になってしまったのは悔しい.
〜11月10日
論文読解を続け,なんとか一通り内容を理解した.一本の論文を読むだけで1ヶ月以上費やしたのは素直に焦ったが,完全初見の分野だったので仕方がないということにしてもらいたい.
11月11日
男性器の日!.......ではなく5度目の研ミの日である.先行研究の説明を一通り行い,問題がないことを確認してもらった.その後いよいよ本題となる卒業研究のテーマを決定した.テーマ自体はかなりブルーオーシャンな領域で新規性は出しやすい反面,先行研究がほとんどないので方向性すらよくわからないといった分野であった.
.......そして地獄が始まるのである.
11月11日〜11月24日
進捗なし.
進捗なし.
進捗がないのである.二週間もありながら進捗がないのである.テーマは決まったものの良い手法が全く思いつかない.方向性すらよくわからない.なにもできないまま二週間が経過した.この間一度だけ研ミが行われたが,そのときはこちらの進捗がなかったので,JK氏による非可換確率論のレクチャーを受けた.
11月25日
7度目の研ミがあった.進捗がないことを報告すると,先代の研究で何か参考になるものがあるかもしれないと助け舟が出された.結局その手法は使わなかったのだが,進捗のない当時の私にはありがたかった.
11月25日〜12月1日
11月26日にようやく良さそうな手法を思いついた.これを手法αと呼ぶことにする.ちなみにαとは,α版のまま消滅したことを意味するαである.26日に思いついてからしばらく手を動かしていたものの,日が経過するごとに手法の限界が見えてきて,どう考えても現実的に無理なんじゃないだろうかという結論に至った.
12月2日
8度目の研ミである.手法αを説明した.
(?)「それはさすがに無理だと思うよ」
テーマ変更を打診された.
12月2日〜12月9日
進捗なし.手法αも結局は廃棄されたので,事実上11月11日から進捗が全く生まれていないことになる.1ヶ月におよぶ無進捗状況.さすがに心が折れた.
この間9度目の研ミがあったが,特になにもなかったので秒で終わったと記憶している.
12月10日
10回目の研ミ.無進捗状況を伝えると,テーマ変更あるいは問題設定の妥協を打診された.それもそうだと思う.卒論提出まで2ヶ月を切った状況で,なんの進捗も生まれていないのである.指導教員の先生方にもご迷惑をおかけした.
12月10日(夜)
「ローションの奇跡」が訪れる.乾燥肌なので風呂上りに病院で処方されたローションを全身に塗りたくっていると,突然天啓に打たれ,天才的な手法を閃いた.計数工学科のラマヌジャンと呼んでいただいて差し支えない.その後手を動かしてみると,どうにも上手くいきそうである.ローションの奇跡については,こちらにまとめているので参考にして欲しい.
研究に詰まったらローションを塗れ
12月11日〜12月14日
ローション手法の解析を進めた.おそらく上手くいくだろうと確信を得た.
12月15日
11回目の研ミ.ローション手法について説明した.「ええや〜ん」な感じがするから,ちゃんと証明しようやという話になった.
12月15日〜12月27日
ローション手法に必要な証明を行った.一部先行研究の成果に依存している部分もあったので,その辺りの証明の確認なども行った.関数を解析する力が足りないことを切実に感じたので,春休みにでもちゃんと勉強したい.この間2度ほど研ミがあって,軽い進捗報告を行った.
12月28日
昨年最後の研ミがあった.ローション手法に関する証明を一通り確認してもらい,問題ないことを確認してもらった.卒論のメインストーリーはこれで良いとの了解を得たので,残りは執筆作業とボーナスステージだけになった.
12月28日〜1月12日
ボーナスステージの研究や執筆作業を行った.この間2回研ミがあって,軽い進捗報告を行った.
1月13日
初稿を提出した.ちなみに卒論締切と同時期に学会用の原稿締切もあり,両方を進める必要があったので若干大変だった.といっても,学会用の原稿は卒論の内容から部分的に抽出するだけなので,実質卒論の執筆だけといった感じではある.
1月14日〜1月26日
ボーナスステージの研究や論文の加筆修正作業を行った.研ミでは軽い進捗報告を行った.この間,論文の概要や序章を添削していただいた.
1月27日〜
卒論審査会用の発表スライドの錬成を開始した.ポンチ絵を大量生成した.Affinity Designerの習熟度が若干上がった.
1月28日
JK氏から先行研究や提案手法の章についてアドバイス(修正指示)をいただいた.初稿提出から二週間ほど経過した時点で来るとは思っていなかったが,見ていただいただけありがたい.添削ではなく,「この辺りを参考にして書いてね」となっていたことから,JK氏のキャパがいっぱいいっぱいになっているのがわかる.本当にご指導いただきありがとうございました.
1月29日
20回目の研ミがあった.スライドを錬成していたので発表練習を聞いてもらった.色々とご指摘いただいたのでスライドを再錬成することになった.
1月30日〜1月31日
スライドの修正と28日のアドバイスに基づく卒論の加筆修正を行った.
2月1日
00:00頃
卒論を提出し,すやぴした.
12:00頃
計数事務から提出された卒論の題目が,事前に指導教員から報告されていたものと異なるという連絡がきた.メール本文には教員から報告されていたという題目も載っていたのだが,一度も聞いたことがない題目だった.さらに言えばその題目だと研究内容が本質的に異なるため,非常に不適切な題目である.いったいどういった経緯でそんなものが報告されていたのか気になるものである.
14:00頃
指導教員から「まだ許可していないから提出するな」という旨のメールが届く.たしかに許可をもらった覚えはないが,初稿を提出してからの三週間,複数回に渡って催促したものの修正指示を受けた覚えは一度もない.不穏な空気が漂う.
16:00頃
修正指示が飛んでくる.30〜31日に加筆した内容の修正指示がくるのはわかる.たしかにこれは初稿段階ではなかったものだし,このタイミングで指示がきても当然だ.しかし,修正指示の大半は初稿段階から一度も手をつけていない部分に関してであった.ふむ.......身体は闘争を求める!
というのは冗談だが,あまりにあんまりな話である.納期直前に仕様変更を言い渡されたIT土方の気分である.とはいえ仕方がないので素直に従い修正したものを送った.
貴重な時間を割いて原稿を確認していただいたこと自体は非常にありがたい.その点は素直にお礼申し上げる.しかし,願わくはもう少し早い段階で連絡して欲しかった.
2月2日
08:00頃
提出許可連絡がきた.
12:00頃
起床して許可連絡を確認したので再度提出した.
おわりに
書きたいことはまだ山ほどあるが,戦いはまだ終わっていないので今回はここで終える.来週審査会があるので,それが終わったらまた書くと思う.