日傘の許容について

日本に置けるここ数年の日傘の浸透度は目を見張るものがあるようです。実際、過去には男性用日傘を何とか普及させようと「日傘男子」なる造語が創り出され、百貨店の店頭にそれらの言葉が躍った時期もありましたがそれも過去の話。また、関西では良く売れる日傘ですが、関東ではあまり売れなかったというのも今では聞かれなくなっています。単純にここ数年の日本の夏が暑いという事なわけですが、このまま日傘の使用者が増え続けるのかと言うとそうではなさそうです。

というのも、雨傘に比べて日傘は使用者の感覚によって使用したいと思う率が変化しやすいからです。雨傘の場合、よほど少量の雨でない限りは、雨傘を使用したいと思う日本人はほぼ100%に近く、雨が降っていても傘をささない人が少数派であるという状況になります。これに対し日傘の場合は、冬空ですら紫外線を気にする層が日傘をさしますし、猛暑日ですら日傘をかたくなにささない層が一定数以上いたりします。

そしてこの状況ごとの使用率の違いが、日傘の普及に歯止めをかける可能性があるのではないか、という事が本日の話になります。

街中で使用する傘はどうしても人が周りにいることを気にする必要のある道具です。というのも、傘を広げたときの大きさはパーソナルスペースと一般的に称される範囲よりも大きい事が多いので、その部分のケアに気を使わなくてはなりません。具体的に言いますと、広げた傘は自分自身が普通に自分の場所だと認識できる範囲の外側を含みますから、他者から見ると邪魔であると感じられやすくなるという事です。

雨傘を使用するケースにおいては、使用率が中途半端な状態が少なく、皆が使うか、皆が使わないかですから、邪魔な時は相手も邪魔という痛み分けで済みます。ところが日傘の場合は、紫外線すら許容できない人、熱線が許容できない人、どのような状況でも日傘を使わない人に分かれてしまうため、それぞれのタイミングで問題が発生してしまうのです。

薄曇りの日に日傘をさす人とささない人、気温が30℃を超えたあたりで日傘を使う人、体に異変が出る手前で日傘をしぶしぶ使う人と、どの人も自分の必要性に迫られるまではささないので、自分と違う行動の人を許容しにくくなるというわけです。

みな、口をそろえて「傘は街中ではじゃまである」と主張します。しかし、傘を使わずに生活がしたいのかと聞かれると、他に代替案がないから仕方ないと言う人がほとんどであるのです。

ですから、やはり他の人が使う傘は、どのような状況であっても許容するしかないのだと思います。ああ、もちろん使用者が街中の他者に気を遣うというマナーを守る事が最低限度求められのですけどね。

そしてそれらが成立しない限り、日傘の使用者はこれ以上増えていかないのではないかと思われます。逆に言えば寛容な社会が出来ていくならば、熱中症に苦しむケースを減らす良い道具が受け入れられていき、助かる人が増えていくのではないかと、そう考える次第です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?