グッバイ・ウィンター / 清水優輝

「冬」と言ったら何を思い浮かべる?
朝起きたら銀色の世界に一変した雪の日?
街中がきらきらとしたオーナメントで彩られるクリスマス?
僕は彼のことを思い浮かべる。
冬にだけ現れた、今はもう消えてしまった彼の話をしようと思う。


初めて彼、冬人と出会ったのは10歳の冬だった。
彼がどこから来たのか、僕はなぜか聞かなかった。聞くタイミングを失ったのだと思う。彼の登場はあまりに突然だった。
誰にも知られず僕の家の前にやってきて、ピンポンを鳴らして、勝手にお邪魔してきた。まるで野良猫が次の飼い主を探すようだった。


母は朝からゴルフに出かけており、1人でお留守番の休日だった。
いくら寝坊しても文句を言われない素晴らしい朝のはずだったのに、玄関のチャイムが何度も鳴り、僕はベッドから起きて来客を迎えに行った。


玄関を少しだけ開ける。

「あの、誰ですか?」

と僕は着ていた緑色のトレーナーの袖を握りながら聞いた。
彼のダウンジャケットの肩に少しだけ雪が積もっていた。

「マサ、そのトレーナー、僕も持ってるよ」

家族や同級生はみんな僕のことを"マサ"と呼ぶ。彼は初対面のはずなのに、馴れ馴れしくマサと呼んだ。
彼は手に持っていたボストンバッグの中から着古した緑色のトレーナーを取り出して、僕に見せた。

「この鷹の鋭い目がかっこよくてお気に入りなんだ」

僕は驚いた。全く同じ理由で、僕はこのトレーナーを選んだのだった。お母さんが選ぶ服しか着なかった僕が初めて自分で選んだ服だ。
彼はバッグにトレーナーを戻すと、僕にはお構いなしで玄関を開けて家に上がり、リビングへ直行した。

「待ってよ!僕、君を家に入れて良いとは言ってない!」

「いいじゃないの。僕は紅茶とクッキーが欲しいんだけど」

リビングにあるダイニングテーブルの、僕がいつも座る席にずかっと座り、彼は床に荷物を置いた。
僕は渋々、お茶を出してあげて向かいの席に座った。

「あのさ、君は誰なの。なんでうちに来たわけ?
 誰かの友だちとか、実は遠い親戚とか!?」

「冬だから来たんだよ、外は寒いからね。
 ちょっとくらい暖まっていってもいいじゃないの。」

彼はそう言うとマグカップを両手に持って手を温めたのち、じゅるじゅると音を立てて紅茶を飲んだ。
眉をひそめて、これは渋すぎるよと文句まで言った。


これが彼との出会いだった。
今思い出しても、意味不明で失礼な奴だと思う。
彼は名乗らなかった。仕方がないから、冬に来る人で冬人と呼んでいる。
冬人はいつも突然現れて、急に帰る。
僕の都合なんて一度も気にしたことがない。


ある日は僕が外で1人で雪だるまを作っているときに手伝いにきた。
呼んでもないのにやってくるのが彼の特徴だ。

「雪だるまを作るときは、始めの雪玉を固くするんだよ」

慣れた手つきでぎゅっぎゅっと雪を固めて、庭に積もった雪の上に転がしていく。
彼がいるおかげで、家の周りには雪だるまが4体も立った。

「こいつらの名前どうする?」
僕は冬人に言った。

「名前なんてないよ、雪だるまは雪だからね。
 僕にも、マサにも名前はないよ、名前は嘘だからね。」

……冬人は時々何を言っているか分からない。


僕は夜、寝る前に詩を書いている。誰にも見せたことがない。詩なんてセンチメンタルでロマンチックすぎだ。カッコ悪いことだ。だから詩を書くのは秘密にしないといけない。部屋の明かりを暗く落として、テーブルランプの仄かな光だけで書く、僕のための大事な儀式の時間。

なのに、冬人はずかずかとそこにやってくるんだ!


風の音が外の寒さを感じさせる夜。
母は外出しているはずなのに、僕の部屋の扉をノックする人がいる……、
いや、ノックなんて可愛いもんじゃない、ドンドンと拳で叩かれている!

「もう!誰!?」
おばけのように、毛布を頭まで被って扉を開ける。

「遊びに来たよ」

冬人はにっこり笑ってこげ茶色の手袋を外しながら部屋にずかずかと入ってきた。
「さすがにこの時間に来るのは困るよ」と、冬人と追い出そうとする僕の言葉は無視される。

彼は僕の部屋を一通り見て、物が多いとか、もっと掃除しろとか小言を言ってからベッドに腰をかけた。座ったすぐ横にはさっきまで詩を書いていたノートとペンが転がっている。

「おや!詩を書いていたのか、ちょっと読ませてよ」

雪のように白い指がひょいっと僕の詩作ノートを持ち上げた。

「だめ、それだけは読まないで!!」

無断で部屋に立ち入って、文句まで言い、詩まで読まれたら僕のプライドはズタズタだ!
僕は彼の体を羽交い絞めして、ノートを無理やり奪い取った。
大きい態度を取る割には、冬人はすごく力が弱く、あっさりとノートを取ることができた。

「あらまあ、そんな怒らなくても……」

冬人は僕の顔を見て少し悲し気だ。悪気がなかったとでも言いたげだ。
でも、僕は許せなかった。僕は黙り込んだまま、布団の中に潜り込み、頭まで覆い隠して決して冬人に返事をしなかった。

「なあ、悪かったよ」

僕は冬人の声が聞こえないように耳を塞いだ。

「でもさ、本当は誰かに読んでほしいんでしょう」

僕はパジャマの袖のボタンが取れかけているのが気になる。

「いつか僕に読ませてよ。君が詩を書いているのは変じゃないよ。」

僕は知らぬ間に夢の入り口まで来ている。
そのまま僕は眠っていたらしい、そして寝ている間に冬人は帰ってしまった。


あれは2月の終わりで、その年はもう二度と冬人は僕のところに姿を現さなかった。ちくちくと心に棘が刺さってしまったようだった。


この年の僕は、次に冬人に会ったらどんな顔をしたらいいのか悩んだ。
母が買い物に行くと言うので、一緒に車に乗って出かけた。
雪はもう完全に溶けて、桜が咲き始めていた。

「お母さん、実は友だちに冷たくしちゃったんだ」

「マサに友だちが居たなんて知らなかったな。その子のこと、好きなの?」

母はいつも忙しくしているから、僕の日中の様子なんて全然知らない。

「どうだろう、変な奴だよ。すごく図々しくて。でも雪だるまを一緒に作った」

「ふーん、そういう友だちは貴重だよ、今度会ったらごめんなさいしなね」

母は僕の頭を乱暴にぐちゃぐちゃと撫でまわした。僕はもう5年生で、大人になるのにいつまでも子ども扱いなんだ。


春も夏も秋もあっという間に過ぎ去って、また、冬がやってきた。
冬人が部屋に入ってきた事件の後も、僕はずっと詩を書いていた。詩を書くことが変じゃないなんて、変な奴に言われても納得できなくて、だからもっと詩を書いた。詩を書いている間は、冬人が僕を許してくれている気がした。


僕が人生で初めて書いた詩はこんな感じだった。
タイトルは「カエル」

「雨がふっていると
 みどり色のあいつが 部屋の中に飛びこんでくる
 のどをおおきく げこげこ鳴く」


人生でふたつ目に書いた時はこんな感じ。
タイトルは「死んだカエル」

「目をおおいたくなるよ
 野菜を積んだトラックが
 進んでいく その道にはカエルの死体」


僕の家の周りは田んぼだらけで、雨が降るたびカエルが出てくる。道路にはカエルの死体が広がっていて、自転車に乗るときも注意しないといけない。そんな情景を描いた天才的な詩が書けたと思った。
僕は日本のウィリアム・カルロス・ウィリアムズなんだと鼻息を荒くして、自分の部屋に飾った。


しかし、僕の父は僕と同じようには思わなかった。僕の部屋に入り、この詩を読むなり大声で怒鳴った。
僕ではなく、母を!

「お前は俺がいない間、どんな教育をしてるんだ!
 こんな陰気な子は俺の子どもじゃない!」

母は父に何度も頭を下げて、泣いていた。
そして僕に詩を片付けさせた。これが10歳の夏の話。

それが原因なのか、僕には分からないけれど、しばらくすると父は家を出た。母は父がいなくなって元気がなくなったけれど、昔よりも夜の外出が多くなった。僕は家でのお留守番の時間が増えて、1人でのびのびと暮らしていた、ちょっと寂しいけど。


僕が母に頼まれて手紙と封筒を持って郵便局へ行くと、そこには冬人もいた。1年ぶりの冬人はちょっとだけ背が伸びていた。僕よりも大きいようだ。
ちょっと気まずくて、僕は冬人から声を掛けられるのを待った。郵便局の前のベンチで座って、彼が出てくるのを待った。

郵便局の自動扉が開くと、冬人は僕の顔を見てにやりと笑った。

「僕のこと待ってたんだ」

小走りで僕のそばまで近づいて、ベンチの隣に座った。髪の毛に雪の結晶が乗っていた。

「久し振り、元気だった?」僕は冬人に挨拶をした。

「まあね、君が不貞寝した日以外は元気だったよ」

「あの晩はごめんなさい。怒り過ぎた」

「僕もごめん、君の嫌な事をするつもりはなかったんだ」

冬人は僕に手を伸ばして、握手を求めた。僕は快く手を握った。
出会う前の緊張や不安は一気に消えて、僕たちはすぐに仲直りをできた。


僕は冬人に声をかけて一緒に僕の家に帰って行った。
リビングで冬人に”美味しい”紅茶を出して、クッキーもあげた。
冬人は僕のいつもの席に座って、僕はその向かい側。

「なんで君は冬にしか現れないの?僕は早く会いたかった」

「なんでって、寒いからね冬は。暖炉のそばで温まりたいのさ。」

冬人は部屋を見渡し、暖炉じゃなくて電気ストーブだけどと呟いて、ひとりでにやにやとしている。

自室でお化粧をしていた母がリビングにやってきた。

「ままごとでもしているの?」
と僕を小馬鹿にしてどこかへ出かけて行った。


冬人と遊ぶときはお喋りはあまりしなくて、家にいるときは黙々と絵を描いたり、本を読んだりして、外にいるときは探検ごっこや雪遊びをして過ごす。
だから、かまくらを作った日の会話は今でも印象に残っている。


二人で半日かけて大きなかまくらを作った。
冬人が僕よりも知識が豊富で、丈夫で立派なかまくらを作ることができた。僕たち2人なら、中に入ってお茶することだってできる。

「いやー、疲れた疲れた。かまくらの中は意外と温かいね」

「僕、チョコレート持ってきたから一緒に食べよう」

僕はポケットから一口チョコレートを取り出して冬人に分け与えた。

「ずっと思ってたんだけどさ、マサって暇だよね」

「そういう君だって、ずっと僕と遊んでて暇でしょ」

冬人は首を横に振って言う。
「違う、僕は遊ぶことが仕事なんだよ」

その言い方が社長さんみたいに偉そうで僕はけたけたと笑った。
でも冬人は真面目な顔で僕に聞いた。

「マサ、学校楽しい?」

僕は思わず顔が赤くなる。学校のことはあまり聞かれたくなかった。
だって……。

「誰とも仲良くないんでしょう」

冬人は僕の心の覗き見して、頭の中で鳴り響く音楽のように僕の言葉を話した。

「学校でひとりぼっちで、家でもひとりぼっちで、マサは寂しいんだね」

「うるさい!冬にしか居ないくせに、そんな風に言うな!!」

かまくらの地面の雪を手で取って、冬人の顔に投げつける。
石が混ざっていたらしく、冬人は鼻血を出してしまった。ぽたぽたと血が落ちる。白いかまくらの中に血の匂いが広がる。

「ご、ごめんなさい、ついカッとなって」

僕は慌ててズボンの後ろポケットからティッシュを取り出して、彼の鼻を抑えようとする。

「大丈夫、僕はさ、マサがみんなと仲良くなる方法知ってるよ」

「なに」

「詩をさ、クラスメイトに見せてみたらどう?」

僕はまた顔が赤く、熱くなる。
冬人はなんで次々と嫌なことを言うのだろう!

「詩なんて見せたら、みんなに嫌われるに決まってる!」

「みんな僕の詩を見て、陰気な奴だって、言うんだ!」

「そもそも君は僕の詩を読んだこともないのに、なんでそんなことを」

興奮する僕を落ち着かせるように、冬人は僕の背中をさすりながら優しい声色で僕に言った。

「僕はまだ読んでないけれど、僕は君の詩が好きだよ」

馬鹿にされているんだと思った。でも、冬人の声や顔は真剣そのもので、これ以上怒るのも違うと思ったから、彼の言葉を素直に受け取ることにしたのだった。

どれもこれも、全部、かまくらという狭くてへんてこりんな空間のせいだ。
僕が誰かに詩を見せようと思うなんて、少し怖いけど、やってみたくなってしまった。かまくらと……冬人のせいで!!


僕は学校の先生に相談して、詩をクラス新聞に掲載してもらうことになった。本当に勇気が必要だった。先生は僕が詩を書くことを知らなかったし、僕はこれまで先生に何かを相談したことがなかった。
ドキドキしながら詩作ノートを先生に見せると、先生は興味深く話を聞いてくれた。そしていくつかピックアップして、コピーを取り、クラス新聞に載せることを約束してくれた。

実際にクラス新聞が配られたときは緊張して、バグバグと心臓が脈打ち、そのまま倒れるかと思ったほどだった。

タイトルは「ガラスの中の夢」

「先生は祈るように 僕らの名前を覚える
  希望、希望、そして 希望

   僕らは大きなガラスの中で眠っている
    あたたかくて こわい 
    きびしくて たのしい

 夢の中では 誰かが おーい と僕らを呼ぶ
 その声の方角を目指して 歩いてみる
  
 ふとガラスの割れた音がして 目を醒ます
 先生は僕らの目を見て微笑んでいる

      こうして、僕らは大人になってしまう」


作者名に僕の名前が記されていて、クラス中大騒ぎになった。帰りの会を終えると、何人かが僕のところにやってきて、詩の感想を言ってくれた。こんなに同級生に声をかけられたのは初めてだったので、僕は夢見心地で、スキップをして帰った。

家に帰り、クラス新聞を母に渡した。先生に詩を書くことを話したときと同じくらい勇気がいた。父に怒鳴られて小さく縮こまったしまった母のあの日の姿が思い出されて、怖かった。
僕の不安は杞憂に終わった。母は誰よりも喜んで僕の詩を読んでくれた。そして、詩を切り取ってリビングに飾ってくれた。

「僕の詩はこれから毎月、クラス新聞に載るんだよ」

「すごく素敵だよ」

母の目は潤んでいて、今にも涙が零れ落ちそうだった。


僕の詩が載ったことをきっかけにして、クラスでは詩のブームがやってきた。
実は書いていた奴、詩は書かないけど小説は書いていた奴、脚本家志望の奴、いろんな奴が登場して、競って詩を書いた。
僕は同級生のことを、じゃがいもとかカボチャに見えていたのに、本当は僕や冬人みたいに個性があって、変な奴だということが分かってきた。

僕は何より、誰からも詩を馬鹿にされなかったことに驚いた。
陰気な子だと言われたあの日のことがずっと頭から離れず、詩は恥ずかしいことだと思い続けていたのに、今ではもっと読みたいと言われるくらいになった。僕は僕に少しずつ自信がついて、詩を書くことがより楽しくなった。誰かに読んでもらえることが、こんなに楽しいことだとは知らなかった。

こうした、冬人がきっかけで変化した学校のいろんな出来事を、冬人に話した。僕の部屋で冬人は腕を組んで相槌を大きく打って、僕の話を聞いてくれた。

「だからさ、僕は言っただろう。詩を書くのは変じゃないって」

「そうだね、全部君の言う通りだった」

「僕はまだ君に僕の詩を見せていないんだよ、僕のノート見ていいよ」

以前奪い取った詩のノートを、今回はちゃんと手渡すことができた。
でも、冬人はパラパラとノートをめくっただけで、ちゃんと読んでいないようだった。
冬人は僕のノートに触れながら、こんなことを言った。

「マサの詩の中にマサがいる。僕はマサの詩を誰よりも知っているんだ。
 言葉に書かれた以上の、君の感情や、君の視た世界を。
 
「僕たちはずっと一緒だよ」

この言葉を言われたとき、僕は彼の言っている意味がよくわからなかった。
だけど、今なら痛いほど分かる。
 

クラス内の詩のブームは学年にも広がった。その様子を見ていた先生に声をかけられて文芸クラブを立ち上げることになった。
部長はなんと僕だ!

文芸クラブは僕の詩のファンと、詩のライバル、小説家志望と、国語の先生が所属した。国語の先生は僕たちの作品を集めて冊子にして、地域のフリーマーケットで売ることを提案した。
僕たちは大人みたいに締め切りに追われてせっせと作品を書いては、お互いに感想を言いあった。

そんなこんなで、僕は以前に比べて暇ではなくなった。休日もずっと部屋で創作活動に勤しんで、冬人が時折家の外に立って、僕を待っていることがあっても無視してしまった。
 

気付いたら季節は春に近づいており、僕は小学校6年生になろうとしていた。


この冬最後の吹雪の夜、僕はベッドの中で半分夢を見ていた。
枕元に冬人が立っていた。
どうしてここにいるのだろうという気持ちと、冬人がここにいるのは当たり前だという気持ちの間でゆらゆらと揺れて、まあいいかと冬人の手を握った。

冬人は僕の手を握り返してくれた。

「マサ、僕はもう行くよ。でも忘れないで。
 僕はずっと君と一緒にいる。
 どんなときもひとりぼっちじゃないからね」
 
冬人の涙が僕の手の甲に落ちた。すると橙色の明かりに包まれて、冬人は消えてしまった。まるで雪が太陽の光で溶けてしまったかのように。

僕はさようならとちゃんと言えただろうか、
あの晩のことは上手く思い出せないのだ。
それから、冬人は一度も僕の前に姿を表していない。


あれから1年経った12歳の冬も、冬人は来なかった。二度と会えないのだと思う。
冬人のことを思い出すと、夢を思い出すように曖昧としてつかみどころがない。母に冬人のことを聞いても、首を傾げるばかり、他の友だちに聞いてみても誰も冬人のことは知らないと言う。
本当に夢だったのかもしれない。それでも、僕は冬人は存在していないとは言いたくない。


彼は僕にとって大事な人だった。
僕を外の世界に引っ張り出してくれた。
そして、僕の詩作に自信と勇気を与えてくれた。
 
ーーーー僕の大切な相棒、大事な親友、冬人へ。