見出し画像

ヴィンランド・サガに見る真理上の”愛”とはLOVEではない・西洋における宗教観と日本古来の八百万の神との違い

NHKで毎週日曜日深夜午前0時10分から放送されている、漫画原作のアニメが非常に哲学・宗教と関連して興味深く見ています。内容は残虐な侵略と略奪と暴力を繰り返すヴァイキングの歴史を中心に、ローマ以降、イギリスが王を生み出すまでの壮大な歴史絵巻といった感じでっしょうか。

主人公は”真の戦士に剣はいらぬ”とする、トールズという伝説の戦士の息子が主人公。自分が人質にとられ、村を守るのと引き換えに自ら惨殺された父の復讐に、アシェラッドという、ヴァイキングの首領に刺客として雇われるという展開です。

身の毛もよだつ、非常に残忍で胸糞悪い描写が多いアニメですが、このアニメでは人間の本質と真の愛について、日本の宗教感の根底に近い、諸行無常、人の業について高いレベルでの考察が含まれ、内容が濃いことで物語に厚みをもたせているので、興味がある方は是非、原作の漫画を手にとって欲しいものです。

『生きるために人を殺す』・・・・これはインドから中国を経由して日本に渡来した宗教心の中に、鬼神という存在で知られています。人間の独善的な思想の中では、善と悪しか存在しない中で、同時に人間はその立場によっては悪を善、善を悪としてそれを憎悪し、駆逐する愚かな生き物として、真の叡智は殺す側か殺される側かの2つに一つであるという、哲学は、このアニメの中のヴァイキングの首領、デンマーク人のアシェラッドがそれを示します。

殺し合いを断罪させ服従させ、道程の逆らう弱者と同時に、反逆の戦士を惨殺しながら、平和とは悠久の真理を掴んだ王の元で自分はその生命を捧げて死ぬ。それはもはや狂った所業ですが、しかしながら一方で、私はこれが西洋における思想としての宗教観であるだろうと感じます。

『人は自分の命が天秤にかけられた時、誰を選ぶのか?』

アシェラッドの答えは『理想の王による平安』を望みます。復讐心を駆逐するには、自分が最も邪悪であるべきとする、これが日本にも伝わる鬼神の思想と非常に似ています。毒を持って毒を制す。鬼子母神や明神と同じ存在ですね。これらは悪を制するためなら、『罪なき者』さえも殺せるのですから。いうなれば人智を超えた”愛の象徴”でしょうか。付け加えれば、宗教の多くは『人は生まれながらに愚か者』という考えは共通しています。キリスト教、イスラム教、仏教も共通してそうですね。

アニメでも、これに気がつけさせられるのは、アシェラッドはデンマーク人の混血であり、元殺された伝説の王の末裔、そういう感じに描かれているせいでもあるからでしょう。それが治安ではなく、戦争という人間の業の中で、下手な善悪、道徳心をかなぐり捨て、冷酷に惨殺しながら、やがて彼によって守護されていたクヌート王子は、初代イングランド王となるんですが、それこそ、釈迦のいう”泥に咲く華として生きよ”ですね。

つまり華には同時に人の業としての”愚かな泥”が必要であり、デンマーク人ながら、その種族を殺しまくるアシェラッドは、誰よりも戦争を憎み、憎悪し、だからこそそれに背を向けるものを決して許さぬという信念に貫かれています。『愛あるゆえに犠牲となるのだ』これは、キリスト教の中にある思想感です。この犠牲は様々で、心を邪悪に変えて人の業を殺戮するまでもが、実は含まれています。

『天国も地獄もこの世にある。そのどちらにも善悪があるのだ』

片方では偽善といえどただ助け合い、仲よく生きることで真の地獄に生きる者となり、生み出すものは仲間と親しい人以外を撥ね付け、差別を産む世界を作り、一方はこの世の強欲と尊大な心を如何に踏み潰し、納めるかをこの世に問う。

主人公の少年から青年になったトルフィンには、実際のアイスランド商人ソルフィン・ソルザルソンがモデルとなっているそうですが、彼はまだ、自分が地獄に生きながら、まだまだその心は純真無垢。まだまだという感じでしょうか。悪魔にも神の真似事さえも平気で出来る人間の業というものを、まだ理解していないのです。

この原作は、数々の文化的な名誉ある受賞をしていますが、日本の代表的なアニメとしても、海外での評価は非常に高いそうです。というわけで、ワタクシが、最近イチオシのアニメとなっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?