籠の中の鳥

私はみにくいアヒルの子
一つの教室に30の顔
その中の一人は醜い醜いアヒルの子
美しくなくていい
ただ普通になりたいだけなのに
私のそれを君は個性だっていうけれど
結局君も綺麗なものが好きで
存在を許してもいい、そんな感覚を
「個性」に置き換えているだけでしょ

先生だって「これからは多様性の時代だ」
っていうけれど建前なのわかってる
先生に見えているのは、肌の色、話す言語、異文化のことなんでしょ
結局無意味な校則でしばりつけているよね
下着は白色
前髪作るな
黒髪こそが日本人
整髪剤はつけないで
男らしく髪は短く

「多様性」って先生にとってどんな言葉なんですか
私たちを理不尽に耐えさせるための言葉ですか
「個性」も「多様性」も誰かを縛る言葉ではないはずです
個性は自分で決める
多様性は人間一人一人にあるのです
私たちはもう先生を信じません
みにくいアヒルの子と思ってしまっても
私たちはこの世界で生きていかないといけないんです
あなたなんかに、教室の誰にも認められなくても
私たちは自分の足で歩き出したい、
人間なんです

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