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遅咲き棋士のリストラ回避録【連続お仕事小説】その9

午後6時を回り一瞬だけ空は茜色に色づいたが、すぐに夜の気配がした。
結局俺は、黒の下川しもかわ九段を振り切れず、ベテラン特有の粘りに絡まるように勝負は終盤に縺れていた。

序盤で得たリードを死守するように黒の猛攻を耐え抜いてきた。もうゴールは見えている。フルマラソンなら40kmを越え、後は相手より先にゴールテープを切るだけだ。それで晴れて棋星きせい戦リーグ入りと昇段を果たし、棋士を引退しなくて済む。やはり俺はもう少し棋士を続けたい。
言うのは簡単だが、相手の下川九段はピッタリと背後に付き今にもスパートを仕掛けそうな位置にいる。

それから30分ほど経過し遂に終局と言う名のゴールテープが見えた。
囲碁は相手の石を取り合うイメージがあるが、最終的な勝敗は陣地の広さで決まる。
もう互いの陣地の境界線が決まり、ダメと呼ばれる陣地の計算に不要な場所を埋めていき、最後に俺がダメを詰めて1局が終わった。
碁盤の上には黒石と白石が"むぐら"のように蔓延はびこっていて、囲碁はこの瞬間がもっとも美しいと思う。

大きなミスもなく、整地をしながらこれで負けるなら仕方が無いと思える程度には満足していた。整地とは陣地の広さを数えやすいように相手の陣地を整える作業だ。

記録係が固唾をのんで見守る、勝った方が|棋星戦リーグ入りとなる俺と下川九段にとって運命の一瞬だ。俺は白だから黒の下川九段の陣地を整え数えて申告する。
「黒…60です」
そう告げると下川九段が息を吐いて白、つまり俺の陣地の広さを伝える。
「白は55です」
対局のお礼を互いに伝え、長いながい1局が夜のとばりとともに幕をおろした。

その10へ続く

残り2回の予定です。後少しお付き合いいただければ幸いです。各話のリンク先はその1に掲載しています。

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