見出し画像

子どもの好奇心と大人の思い込みと偏見



こんにちは!人工呼吸器を装着した重度心身障害児の次男が地域の小学校に通い始めて33日がたったので、振り返ってみようと思います。

初めての体験に満ちた日々の中で、子どもたちの反応と大人たちの反応には、それぞれ特徴があり面白いなと感じながら過ごしています。
子どもたちは純粋な好奇心で次男を迎え入れることができていたのに対して、大人たちは無意識の思い込みと偏見によって、過度に注意を払ったりしていました。

子どもの好奇心

入学当初、次男の顔を見て「これは何?人形?」「生きてるの?死んでるの?」「怖いし、きもい」と素直な気持ちをそのまま口にしていた子どもたち。今までそんな言葉をかけられたことがなかったので、正直、初めはドキっとしましたが、次第に私も「次に何を言ってくるのか?」と楽しむようになっていきました。

その素直さはやがて好奇心へと変わり、次男について色々と質問をしてくるようになりました。

「何でこんなことになったの?」という質問に対し、私は「産まれてくる前に、お母さんのお腹が風船みたいにパーンと破裂してしまったの。破裂したお腹の中で息ができなくなって、脳に傷ができてしまったから、自分で息することや食べること、歩くことができなくなったんだよ」と説明しました。子供たちはそれを聞いて「息ができなかったんだ。だから機械を使ってるんだね」と子どもなりに理解しようとしてくれました。

このやり取りを繰り返すうちに、子どもたちはどんどん次男の近くに寄ってくるようになりました。最初は手の先だけをチョンと触るだけだったものが、頬を撫でるようになり、最後は足に軽くグーパンチする子も!支援の看護師さんが「グーパンチは痛いからやめてね」と注意する場面もありましたが、グーパンチした子どもたちも、いじめるつもりではなく、「グーパンチしたらやり返してくるのか?」なんて思ったんでしょうね。子どもの好奇心はすごいなと思いました。

体育参観日での出来事

入学から1カ月半が過ぎて、体育参観日がやってきました。
種目は障害物のかけっこと表現ダンスでした。

表現ダンスでは、看護師さんと支援員さんに片方ずつ手を持ってもらい、一緒に手を動かしてダンスを楽しむ次男の姿がありました。障害物かけっこでは、50メートルほどの距離にダンボールが設置され、そのダンボールをジャンプしてゴールまで走るというものでした。次男はバギーに乗ったまま、ダンボールはジャンプせずにゴールまで一直線で走りました。

それを見た子どもたちは「なんでダンボールをジャンプしないの?」と素直に疑問を投げかけてきました。私にはバギーでジャンプするという発想がなかったのでハッとさせられました。子どもたちの公平な視点で見ていたからこその疑問でした。次男がみんなと一緒に体育参観日に参加するにはどうすればいいかという大人たちとの話し合いでは「あまり無理せず、できることだけしましょう」という感じだったので、子どもたちの視点は面白くて新鮮でした。そして私の心にも「次男もみんなと一緒にジャンプさせてあげたかったな。」という思いも出てきました。
他にも「次男くんもジャンプしたいと思ってると思うよ」と次男の立場になって考えることができる子もいれば、「次男くんだけジャンプしないのズルい」と次男を対等な存在として見てくれている子もいました。

子どもたちの成長

最初は未知のものに対する恐怖を口にしていた子どもたちが、次男と一緒の時間を過ごすことで親近感が生まれ、恐怖が薄れていき、わずか1ヵ月ほどで仲間として受け入れるようになったことには驚きました。もう少し時間がかかると思っていたので、子どもたちの柔軟な心の成長力には感心しました。


大人の思い込みと偏見

一方で、大人たちの反応はちょっと違っていました。校長先生や看護師、教育委員会の方々は、次男のために感染対策や安全対策に細心の注意を払おうとしてくれていました。
入学前に支援学校に見学に行った教育委員会の方や校長先生が吸引時や胃瘻からの食事中は医療的ケアルームというなの別室が設けられていることを参考に、小学校でも教室に衝立を設置して吸引時や胃瘻からの食事中に使用することになりました。
しかし実際に、教室で衝立を使っている様子を見た私は、これが他の子どもたちとのバリアになると感じました。みんなは感染対策や安全対策をしていないのに、次男だけ特別扱いされていて、差別されているように感じるため外してほしいとお願いしました。
しかし、感染症で命の危機にさらされるかもしれない、他の生徒とぶつかって怪我をするかもしれないと、無意識の思い込みや偏見から衝立をなくすことに難色を示しました。
もちろん、この地域で人工呼吸器の子供が地域の小学校に行くこと自体が初めてのことでみんな手探り状態で、何かあったらと思うと不安だと言う気持ちも分かるんですが、「良かれと思って」行っている特別な配慮が過度になっているのは、違うのではないかと感じました。

ケース会での熱い議論


そこで、どうにか私の思いを理解してもらいたいという気持ちから、校長先生にケース会の開催をお願いしました。
ケース会には校長、副校長、教頭、教務主任、特別支援コーディネーター、養護教諭、教育委員会の担当者2人、看護支援員2人、介助支援員の計11人が集まってくれ、学校は私の思いに寄り添おうとしてくれていると思ったので熱く語りました。

子どもたちは次男を受け入れつつある。次男の気持ちになって考ることができ、1人の人間として対等に思ってくれている。私自身は子どもたちから色んなことを学んできた。先生たちも子供たちから学んで次男のことを1人の人間として対等に接してほしい。
まずは次男が衝立のことをどう思っているか想像してほしい。1人だけ衝立の中にいるのは悲しいかもと。だったら衝立ではない別の対策を考えてみる。対策を実行してみて、不具合があったら改善していく。これを繰り返していけば、次男にとっても、他の生徒にとってもいい環境を作ることができるのではないかと熱く語りました。

しかし、看護師さんからは「次男くんは他の子と比べてリスクが高いから対等じゃないですよね」と一言。あんなに熱く語ったのに、看護師さんは一人の人間として次男を尊重してくれないのかと、何も伝わっていない気がして正直とても悲しくなり、少し涙も出ました。
看護師さんは病気の患者の命を守ることを最優先で仕事をしていたので、今までの経験から考えると、支援している子が重度心身障害児で人工呼吸器も装着しているから、感染症をもらうと重症化しやすくて、怪我しやすいかもと思ってしまうんだろうなと看護師さんの思いを理解しようと努めました。

でも実際は、家で兄姉から感染症をもらうたびに体力がついていき、最近ではほとんど風邪を引かないし、兄姉からの強烈体当たりでも今のところ怪我をしたこともないし、看護師さんが思っているより強い体に育っている。

だから諦めずに、今度は他の先生方にも意見を求めると、徐々に「次男くんの思いを想像すると、やっぱりバリアはなくしたほうがいいよね」「別の対策として生徒への説明や、視覚支援として給食ですって書いた紙を出しておくといいかも」と共感の意見が出始めたので、私の思いが少し通じたことに嬉しく思いました。

未来に向けて

ケース会のあと、すぐには衝立がなくならなかったので、その後も教育委員会や校長と話し合いを続けると、衝立の時間が少しずつ減っていきました。今では給食時間の衝立の使用はなくなり、あとは吸引時のみとなっています。これからも対話を続けていき、いつか大人たちも次男を対等に扱ってくれる日が来ることを願っています。

まとめ

大人は今までの経験から生まれた無意識の思い込みや偏見にとらわれがちで、それが彼らの判断や行動に影響を与えているが、子どもたちの素直さや自由な発想、公平な視点が私たち大人に新しい気づきを与えてくれます。。

次男の存在は、多くの人々にとって学びのチャンスとなり、共生社会の一歩を踏み出すきっかけとなると信じています。これからも、次男と共に地域の学校生活を楽しみながら、多様性を尊重し合う社会の実現に向けて歩んでいきたいと思います。

皆さんのお子さんの学校でのエピソードや子供たちの交流で感じたことがあれば、ぜひコメントで教えて下さい。これからもよろしくお願いします。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?