美味しいボノボ ”東北とフォロワーキメラ”
美味しいボノボ
美味しいボノボはボーノボなのか。
ボーノボとは文字通り、イタリア語で美味しいを意味するボーノと、チンパンジーのボノボを組み合わせた、美味しいボノボを意味する造語である。
美味しいボノボはボーノボ
— かさ (@ii_gasa) January 7, 2022
文字数はほぼ変わらず、美味しいという情報が加わり、かつ主成分であるボノボが殺されていない、完璧な造語である。
ボーノボという単語を見たことが無くても、美味しい”ボーノ”とチンパンジー”ボノボ”を知っていれば文脈からアナロジーできることは疑いようもない。使用機会の有無以外に欠点は無い。
そのほぼ無欠である語に異を唱える人間がいた。
そこはボーノでよかったんじゃないか?
— ラード⭐ (@region_lard) January 6, 2022
おいおいおいおい。
美味しいだけじゃないか。
ボーノボ派はすぐに欠点を指摘した。
チンパンジー要素0やんけ。
— かさ (@ii_gasa) January 6, 2022
ただ彼は続けてこう言った。
ボとノが付いてるだろ
— ラード⭐ (@region_lard) January 6, 2022
ボーノボ派はここで納得いかず癇癪を起し、その後彼らの間で美味しいボノボの話は二度と出てくることはなかった。
東北の言語潮流
ただ数日たって、何故彼が美味しいボノボは”ボーノ”という論を唱えたのか分かった気がするのだ。
東北の魂が文字数圧縮を加速させたのだ。
例えば、山形の方言は日本一短い。”け”・”く”の一文字で会話ができる、彼に流れる文化の血潮がそうさせたのだ。
北関東で育った私と東北で育った彼では、価値観が異なり言語変化のドリフト(流れ)が異なっていたのだ。
考えの違いはおそらく、”ボーノボ”・”ボーノ”におけるチンパンジー成分の要否の判断からくるものだろう。私は美味しいボノボの”ボノボ”は削れない要素として、”ボーノボ”を提唱しているのだが、彼はおそらく”ボノボが美味しい”という表現として”ボーノ”を採用したのだろう。
なるほど確かにそう考えると、”ボーノ”を普段使わない日本語話者がボーノという言葉を発するときは、”ボノボが美味しい”として類推が可能かもしれない。例えば10の9乗を意味するギガは、ファイルサイズを意味するバイトの要素が無いが、ギガ=ギガバイトという認識が一般的である。他にも携帯電話を携帯と言ったりするように、”ボーノ(美味しい)ボノボ”を”ボーノ”と呼ぶことになっても特段違和感は無い。
思考実験”フォロワーキメラ”
最後に一つ思考実験をして、造語における価値観を考えてみようと思う。
フォロワーを他の何かと混ぜて新たな生物にした場合、命名をどうするか、という思考実験だ。
例えばフォロワーである”ラードさん”と架空の生物であるドラゴンを混ぜてキメラを作ろう。
この場合、私は直観的に”ラードラ”という名前を考えた。ただ、ドラゴンの中にいるラードさんとしては自身はまだ”ラード”であり、”ラードラ”なんてものではないのではないだろうか。
私からするとキメラになったフォロワーは以前のフォロワーとは違うため、名前を変えて呼びたくなるが、フォロワーの想いを慮ると、ドラゴン要素を排除して”ラードさん”と呼ぶべきなのかもしれない。
まとめ
各話者のバックボーンや価値観により、同じ現象を切り取っても、異なる造語・命名がされる。自分のセンスばかりを信じるだけでなく、他者の視点を持つことも大切だと感じた。
美味しいボノボとラードさんに最大限の感謝を。
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