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最高裁判決と環境保護庁の権力拡大について(ヘリテージ財団の記事)

写真出展:Okan CaliskanによるPixabayからの画像https://pixabay.com/ja/users/activedia-665768/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=1063249

 2021年11月19日にヘリテージ財団は、環境保護庁の権力を拡大する最高裁判決に関する記事を発表した。内容は、環境保護庁による温室効果ガス排出削減の権限を大幅に拡大する判決がD.C.巡回区裁判所にて下されたことに伴い、今後の最高裁での審理及びその影響を考察するものである。日本でもレジ袋有料化のような法律によらない規制が推進されるなど、法治国家としての在り方が問われる状態になっており、今後の日本にとっても示唆的な内容であることから、本記事の概要を紹介させていただく。

↓リンク先(Supreme Court Takes Up Challenges to Near Limitless Power of EPA)
https://www.heritage.org/courts/commentary/supreme-court-takes-challenges-near-limitless-power-epa

1.本記事の内容について
 ・最高裁は、環境保護庁の発電所に対する温室効果ガス規制権限についての、4件の違憲訴訟を取りまとめてヒアリングを実施することとなった。中でも代表的なウェストバージニア州 対 環境保護庁の訴訟では、クリーンエア法の付帯条項の合憲性が問われているが、直近のD.C.巡回区裁判所では、環境保護庁がほぼ全ての経済主体に対して温室効果ガス排出削減規制が可能であるか否かについて見解が分かれていた。
 ・本訴訟は10年以上前から問題視されていた。2007年のマサチューセッツ州 対 環境保護庁の訴訟では、最高裁はクリーンエア法の「大気汚染物質」としての定義に基づき、環境保護庁が温室効果ガス排出を規制することが可能であると判決を下したことから、気候変動政策に基づいて経済政策を形作ることが可能になってしまった。
 ・「どのようにして」規制するのかについて、議会は答えておらず、規制が選挙で受けが良くないことから積極的に方針を示そうともしない。アメリカの電力の60%は天然ガスと石炭であり、環境保護庁の規制が国内の全ての発電所に及ぶこととなり、今回の裁判でも2件の規則について合憲性が問われることになった。1件はオバマ政権時代の拡大したクリーン電力計画であり、石炭及び天然ガス発電所を閉鎖するものである。(これはトランプ政権が撤回した。)もう1件は、2019年のトランプ政権が施行した適正クリーンエネルギー規制である。
 ・D.C.巡回区裁判所の控訴審では、トランプ政権によるクリーン電力計画の撤回及び適正クリーンエネルギー規制の施行は、恣意的かつ場当たり的なものであり、環境保護庁の温室効果ガス排出削減規制の権限を制限することはできないとされた。原告は、この判決は議会が環境保護庁に与えた法的権限を超越しており、行政国家の法的権限の制限に違反しているとし、深刻かつ不当な権限拡大を招くとしている。
 ・最高裁は過去にも環境保護庁の活動に肩入れするような判決を下しており、今回の判決も恐らくその方向性になるものと考えられ、バイデン政権のエネルギー政策のあり方及びコストを示すものになるだろう。また行政府の権限拡大と議会の権限縮小という、憲法上の問題にも発展するだろう。もし「代表無くして立法なし」の原則を採用するのであれば、裁判所による行政の規制に舵を切ることになる。もし「主要問題」の原則を採用するのであれば、議会が行政府に権限を付与しない限り、主要な経済的、政治的問題について規制することができないことになる。アメリカ国民は、最高裁が法的権限の在り方について議会に預け、環境保護庁の権限拡大を安易に認めないことを望むべきである。

2.本記事読後の感想
  アメリカの悪い所がよくわかる内容の記事である。極左裁判官が極左政策を支援するといったことはこれまで何度も発生しており、最近の批判的人種理論などの判決はその典型例である。
  日本の裁判所もやや左に偏っていて非常に怪しい所があり、同様の懸念がある。今後地方自治体単位で不当な規制が施行された場合でも、肩入れする可能性もあるだろう。そうなれば議会が条例を上書きしない限り、行政は自己の権限を欲しいままにすることになる。日本ではおかしな意味での行政信仰のようなものがあり、政治家の暴走を行政が食い止めることを望むがこれは大きな勘違いである。政治家は国民が選んでいるのであり、質の悪い議員は選挙で落とすことが可能であるが、官僚や役人は法令で身分保障された人々であり、国民が首にすることはできない。つまり、自分たちの手が届かない所にいる人物に権限を預けてしまえば、国民はもはや手を出しようがないのである。国民の武器は選挙権であり、議会が行政を規制することができなければ、民主主義の統制が及ばないことになるのである。
  国民にできることは、政治家を叱咤激励することである。好き嫌いで政治を語らず、仕事をしているか否か、世論の声に耳を傾けて政策を実践しているか、このことをしっかりと見定め、国民の要求に従わなければ不支持を突き付ける、このとことを地道に続けていくよりほかないのである。

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