8年目
母が亡くなって今年で8年経つ。
この事に関しては後悔せずにいられない。
過干渉が酷かった母と、パニックやうつの症状が酷かった私は、少しでも距離を取りたくて、高齢で一人暮らしの母との連絡を開けたり、帰省しても少し早く帰ったりしていた。
母が突発性緑内障になった時も、喘息だと疑わず苦しんでいた時も、母は一人で救急車を呼び、病院から連絡を受けて私は駆けつけた。
その喘息だと信じていた症状は、肺がん末期である事を弟から電話で告げられた。もう時間の問題だと。
それが8年前の2月のこと。
その2か月前にやっと決心して、母にケアマネとヘルパーをつける手続きをした。
正月が空けてすぐ手続きを行い、散らかっていた部屋が綺麗に整頓され、後で聞いた話では、ヘルパーが入るとよく話していたらしい。
何故早くそうしてやらなかったのか
何故ガンを疑わなかったのか
何故セカンドオピニオンを勧めなかったのか
後悔は尽きない。
だから上本町まで定期的に通っていた総合病院の診察でそれを見抜かなかったのか、病院を、担当医師を責められなかった。
最期に母が入院して意識がなくなるまで、嘘でも励ました。
「治ったら帰れるから少し我慢してな」
母の最期を看取ったのは弟だけだった。
私は自分の診察で点滴を受けていた時に電話で知らされた。午前10時48分。それが死亡診断だった。
その日から私は食欲が湧かなくなって、痩せなくても少食になった。
なんで私はあんなに母を遠ざけようとしていたのだろう。母の苦しみに比べたら、過干渉なんてどうってことなかったのに。
ごめんね、母さん。
ごめんね、母さん。
母さんの命日からきっちり3ヶ月後に、しぃもそこに逝ったよ。母さんが好きだったネコのしぃだよ。
いつか生まれ変わることが本当にあるのなら、今度は裕福で心配しなくてもいい家に生まれてね。
私には子供がいないから、母の気持ちは一生分からない。こんな薄情な子供で貴女は幸せでしたか?
それだけは知りたかった。
8年経って、ようやくこんな話が綴れるようになった。
私、映画にも出たんだよ。
舞台にも立ってるんだよ。
一度でも見て欲しかった。
今、先祖と一緒に帰ってきてるならいいな。
きちんと祀られていないけど、帰ってきてくれてるならいいな。
お帰り、お母さん。
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