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~自己紹介#2~[プライベート編]

 1962年8月、”鶴舞う形の群馬県”に生を受けてから60年余りが立ちました。子供の頃の60歳と言えばもう"おじいさん"のイメージが強かったものですが、いざ自分がその年になった今、複雑な気持ちです。

小・中学校の義務教育は、どちらかといえば物静かで、おとなしくで、人見知りも強く、親戚や祖父母、両親からも『内弁慶』と言われていました。 (まぁ、自分も納得していました (;^_^A )

ただ一つ、小学3年生から始めた我が故郷の夏祭り[祇園祭]への参加は、その後も高校生になるまで毎年積極的に参加し、大人達とも物怖じせずに楽しめた出来事で、今年も夜だけでも、、、と数年振りに出かけてきました。

地元祇園祭(24歳の頃)


 高校時代は、親に買ってもらった中古の一眼レフカメラ(勿論フィルムカメラ)で生活圏の"何気ない風景"をフィルムに残す事が趣味となりました。
一方、学校では友人と二人で "ギター同好会"を立上げ、コピーバンドとしてライブなども行い伸び伸びと楽しめた学生時代でした。

高校卒業後の進路は随分悩みました。学業的な学びは嫌いで、恐らく両親も自分が好きなことをしている時が一番良いと感じたのか、『写真専門学校に行きたい!』と言う自分の希望を叶えてくれて、東京生活がスタート!

 田舎育ちだったので、東京での生活はあまり楽しい思い出はありませんでしたが、学校での授業や専門学校で新しくできた友人との撮影談義はとても楽しく、あっ!と言う間の2年間。今思えばいろいろ学んだ2年間です。

卒業と同時に学校から推薦された東京の写真スタジオに就職をしましたが、学校での楽しかった学びは殆ど役に立たず、先輩たちの仕事を[見て盗む]という業界で陰湿ないじめのような事もあって、3ヵ月ほどで転職を意識。

そんな時に専門学校で卒業制作の撮影をした軽井沢ホテルブレストンコート(当時ホテルニューホシノ)でカメラマンを募集していることを知り、好きだった軽井沢での生活、軽井沢への転職を決意しました。

 24歳の時に同じ職場に1年遅れで入社した女性と結婚。
勿論、軽井沢の教会で!
平成1年1月11日11:10、周りからは『お父さんにそっくり』と言われ続けた長男が誕生、翌年4月に次男が生まれ2年間で家族が4人となりました。

長男3歳、次男2歳


 軽井沢に骨を埋める覚悟で、家も建て、大好きなバラも沢山植え、春と秋にはバラの香りに包まれる庭でよくBBQをしました。
今では2人の息子たちも完全に手が離れ、妻との時間が増えた分二人で旅行を楽しめるようになりました。

我が家のバラた
我が家のバラたち

妻の家族とも年に1~2回、一緒に旅行に行けることが楽しみの一つとなっています。また今年は車を買い替え、来年には車中泊ができるように徐々に
プチ改造をしていきたいと思っている今日この頃です。
旅行や車中泊なども投稿していきたいと思っていますので、よろしく!!

出雲大社(島根県)
元乃隅神社(山口県)

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