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「沼地のある森を抜けて」を読んだ

こんなご時世なので家から出られず、読みたい本があっても本屋が開いていなくて買えない日々が続いていた。5月に入り少しずつ本屋が開いてきて(とはいえ近くの新刊書店は開いていないけれど)ついにブックオフにたどり着くことができたのでずっと探していたこの本を買った。GW中、家にある本で読みたいものがないことに気がつき、次に本屋に行けるようになったら買う本をリストアップしていてこの本を見つけた。「ぬか床から生命を考える」というあらすじに惹かれたのであった。

本は2日で読み切ってしまった。わたしもまた生命科学系を専攻としていた一人の独身女性なので、読みながら結構共感する描写が多かった。自然や季節の描写だとか、途中までは淡々と日常の描写が描かれていたのに、途中からいろんなものと結びついたり巻き込んだりしながら、怒濤のクライマックスにつき進んでいく感じとかが完全に梨木香歩の作品で、おもわず懐かしさを感じた。同時に、わたしが人生において大切にしている価値観は、大いに梨木香歩作品の影響を受けていることに気がついた。

梨木香歩の本は「りかさん」が一番印象に残っていて、たぶん10代前半で一番影響を受けた本といっても過言でないと思う。中学受験の前か後か定かでないけれど、親がどこかで聞いてきた「読むといい本」リストに入っていて図書館で借りてきてくれた記憶がある。(余談になるけれど、「りかさん」を読んでから「セルロイドの人形」に少し苦手意識がある。人形は何も悪くないけど。)続編にあたる「からくりからくさ」も読んで、今まで知らなかったクルド人の歴史について思いを馳せるなどした。「西の魔女が死んだ」では、一人で誠実に日々に向き合う「祖母」の暮らしに感銘を受けたりした。

女性として生きていくにあたり、恋愛・結婚、美しさの維持に必死になる、周りの女友だちと仲良くやっていくことに人生に重きを置くことが典型的な価値観としておかれることが多いなぁと思っており、実際に周りにいる女の人でもそういった価値観の人はいるなぁと思う。今まで生きてきて、そういった価値観への共感があまり生まれないまま私自身は暮らしてきた。たしかに、見た目が可愛かったり、素敵なパートナーがいる暮らしは一つの理想としておかれるものなのかもしれない。けれど、わたしが人生に求めているものは少なくとも今はそちらにはない。人と価値観が違うことについては別の人間なので仕方がないけれど、それでもそういった人がマジョリティなんだと思うとなんだか生きづらさとか後ろめたさを感じることがある。ただ生きていくだけなのにしんどいなぁと日々思ってるものの、梨木香歩作品だと私に似た価値観を持った女性が主人公として設定されて、その視点で物事が描写されるのでなんだか安心する。

この作品も例に漏れず、自然科学のことについてじっと考え続けている女性が主人公なので、読みながら居心地が良かった。わたしがどちらかというと都市より自然を好んだり、得意でもないけれどいろんな手の込んだ手料理を頑張ってしまうこの性質の根底は、きっと「りかさん」や「西の魔女が死んだ」で見たおばあさん世代への憧れがあるんだろう。あんな風に自然と共存しながら芯を持って生きていける人生を送りたいと思っている。今まで無意識に考えてきたことだったけど、久しぶりに梨木香歩作品を読んでこのことに思い当たった。

ぬか床を始めとして生命について見つめ直すことがこの作品の主題であり、見えない「ウィルス」というものに振り回されている日々もある意味では生命を考えているということなんだろう。昔聞いた話だと、「人間の思考や性格は腸内フローラの細菌構成によって変わる」という説があるらしく、本当だったらとても面白いな思う。引っ込み思案な人が腸内細菌が変わることで気が強くなったりしたら、「自分」って一体何で定義されるんだろう?など考えると面白い。今のところウィルスには乗っ取られたくないけれど。

本を読んでいたら自分の家にもぬか床があるのを思い出して、2ヶ月ぶりくらいに冷蔵庫から出してかき混ぜてあげた。ずいぶん眠っていたようだけど、そろそろ私が大好きな夏野菜が出回る時期なので仕事をしてもらおう。ぬか床ってぱっと見はただの茶色い塊だけど、この中にはたくさん菌がいるのだと思うと不思議な感覚だ。一人暮らしのマンション暮らしなのでペットは飼えないけれど、時々切り花を買ったりぬか床をかき混ぜたりして自分以外の何かの面倒を見るというのは気分転換になる。

ついでにキノコのお味噌汁を作ったので菌への挨拶は完璧です。あとできゅうりのぬか漬けを食べよっと。

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