共生するもの

3月に抗うつ剤も飲み終わり、先月心療内科の最後の診察を受けた。そんな矢先、職場で緊張感に襲われた。
卵が先か、鶏が先か。
なんとなく立ちくらみのようなものを数回繰り返した後、手の痺れを感じ、次に硬直を感じる。心臓が「どきんっ」と掴まれる感覚。
心拍数が上がり、末端が冷えていくのを感じる。体が緊張していく。
その時頭を支配したのは「またテタニーになったらどうしよう」という恐怖感。体の自由が効かなくなることの恐怖は、この上ない。また、救急車で運ばれてしまうかもしれない。周りの人に、変な目で見られるかもしれない。カッコ悪い。普通になりたい。そんな思いがぐるぐると回る。その一歩、冷静な自分もいて呼吸をゆっくり落ち着ける努力をしたり、過換気の予防のために息を止めたりした。部屋の外に出て、風にあたったりもした。なんとか1時間ほど誤魔化して過ごし、昼食もしっかり食べてから少し横にならせてもらおうと休憩室へ。
横になるがなかなか手の痺れ、動かしづらさが改善しない。悪化を防ぐために頓服を服用。(めっちゃ久しぶり〜)そこから2時間ほど脈が早い、手の動かしづらさ、手の冷えを感じながら過ごした。

さて、今回の出来事はなぜ起こった?
うーん。理由を探し始めると、またドツボにハマってしまうような。
「なぜ」ではなく、起こったことをあるがままに捉えてみよう。
適切に頓服が飲めたこと、無理せず人に頼れたこと、冷静に対応できたこと。全て合わせても100点でしょう。「なぜ」と考えてしまうし、正直ちょっと悲しいけれど、今回のことはむしろ成功例として私の人生に刻んでも良さそうなことなのかも。やっぱりトリガーは手の痺れ、硬直。私はとにかく怖いのだ。恐怖なのだ。不安なのだ。自分で自分がコントロールできなくなることに。人にびっくりした顔で見られることが怖いのだ。「普通」でいたいという思いが強いのだ。その思いが原動力になって頑張れる部分もたくさんあったとは思うけれど、今やこれからは、そういう生き方は違うのかもしれない。自分に起こっていることを、受け止めて、流す。私の脳は、私を痛めつけようとしているわけじゃない。私を守ろうとしている。

姉とさまざまディスカッションを交わす。私が次に学んでいくことはなんだろ〜
体の声を聞く、凝り固まった左脳主体の意識を解放する、自分らしさを取り戻す・・・?どこかでできている歪みを、整えていかないと行けないのかな〜

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