蘇生術と脳死

脳死は、長い歴史の中で培われてきた「死の三徴候」、呼吸停止、心拍停止、瞳孔散大・対光反射消失の三つに分析される(かもしれない)心臓死からくる概念とは別の死の概念になりうるものである。
脳死は、全脳機能の不可逆的停止、脳幹機能、大脳機能(①深昏睡②瞳孔散大③脳幹反射消失④平坦脳波⑤無呼吸テスト⑥時間経過)をもって診断されるが、今までの死(心臓死)とは死亡判定の目的が違い、脳死判定の目的は、①治療中止の判断②臓器提供である。
なぜ、脳死判定の目的に臓器提供があるのかというと、それが脳死を死と定義するかどうかの問題などの原因である。『他方において、臓器移植の技術が発達し、提供者の臓器の機能が維持されているうちに移植が求められるところから、脳死の患者から心臓・肝臓などの臓器を摘出して移植に用いることが求められ、諸外国ではそれが実際に行われるようになってきた。そこで、わが国でも脳死をもって人間の個体死として扱ってよいかどうかが、問題とされてきたのである。』(脳死は本当に人の死か 梅原 猛 PHP 研究所 2000年)とある。脳死を認めれば、心臓が動いた状態で判定を受け、より新鮮な状態で移植できる可能性もある。しかし心臓死は最悪、人口心臓などで代替が利くが、脳死は、そうではないからといって、そのような理由で脳死を認めてよいのか。また、その理由に、iPS 細胞などの再生治療の発展があり、将来的には提供ドナーがいらなくなる可能性があるからだ。
以上のことから、脳死は、生物学的な死はあるが、倫理的には問題があるとする。
課題②四諦(苦集滅道)と般若心経と五蘊皆道
四諦とは釈尊が説いた教義のまとめであり、苦諦:四苦八苦( 病気)・集諦:苦が生ずる原因( 病因)・滅諦:苦の滅尽(涅槃) ( 治癒)・道諦:苦の滅尽への道( 治療)である。
苦諦:Dukkha の翻訳語「思い通りにならない」という意味である。四苦 (生・老・ 病・死)+愛別離苦 五取蘊苦(五つの自己執着)で四苦八苦となる。五取蘊苦は、色・受・想・行・識(身体・感覚・表象・意思・意識)を指し。「我」という執着に総括される。
集諦:渇愛から苦が生ずるもの。 欲愛(男女の愛欲)有愛(生存の欲望)無有愛(死の欲望)「思い通りにしたい」という渇愛や「思い通りにならない」という苦が生ずる。これらは生物の3要素(生殖・動的平衡・死)に対応している。
滅諦:渇愛が制御された状態であり、苦(自己への執着)が消滅する。
道諦:渇愛を制御して生きる。自己への執着が制御できれば他者を自己と差別しない心(慈悲)が生ずる。
参考文献
授業スライド
脳死は本当に人の死か 梅原 猛 PHP 研究所 2000 年