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内向型が世界を変えるには

「#読書の秋2021」の課題図書一覧を何気なく眺めていたら、気になる1冊を見つけてしまった。
内向型コンサルタント(素敵な職業✨)の堤ゆかりさんの著書、
「 もう内向型は組織で働かなくてもいい」である。
内向型であり、HSPな私が今まさに求めていた言葉・・・
これは運命の出会いなのかな。
ということで、本を読了して得たインスピレーションを記事にしてみる。
少々長いが、内向型の方が希望を持てるように書いてみた。

すべては内向型を受け入れることから始まる

私が「内向型」という言葉を知ったのはおよそ7年前。
社会人2年目にして、自分の弱さを受け入れることが出来ず、めちゃくちゃ生き方に悩んでいた際に出会った本に書いてあった。
その本がマーティ・O・レイニーの著書「内向型を強みにする」である。 

この本に出会ったことで、私の生き方は許しを得たような気持ちになった。
なぜなら、それまでの人生は常に自分を責める思考が働いていたからだ。
周りに合わせるべき・怠けたらいけない・休日だらだら過ごしたら虚無感・常に努力すべき・常にアクティブでいるべき・・・
完全に「べき論」に囚われていた。
それに反するような言動をすると、自分の中の”誰か”が責め立ててくるのだ、もっとこうすべきだと。
その”誰か”なんて現存しないのに・・・
さらにいつでも人と比べる癖が付いていたため、他人の長所を見つけると自分の短所と勝手に比較して、勝手に落ち込んでいた。
今振り返っても、とてもしんどい生き方だった。

しかし「内向型」という言葉に出会い、自分の生まれ持った性質を客観的に言語化”出来たことによって救われたのである。
「自分は内向型だったのか、ありのままで良いのか。」
シンプルにそう思えた。
もしかしたら才能かもしれないという希望を少しながら持つことも出来た。
ある意味、言語化・可視化することの重要性を学んだ、と言える経験でもあった。
そうして、内向型である自分を受容したお陰で、人生を前向きに捉えることが出来て、呼吸が少し楽になった。

全ては”知る”ことから始まる。
人は言語化・可視化することによって知ることが出来る。
知識は自分の身を助けるのに非常に役に立つのだ。

内向型から見たこの社会の”歪み”

そもそも、なぜ今まで生き辛い人生を送っていたのか?
なぜ、内向型である自分を受け入れることが出来なかったのか?
家族・遺伝・生育環境・人間関係・学校教育・会社・社会・法律・資本主義・民主主義・・・
様々な要素が起因していると思う。
内向型としての悟りを開いた(大袈裟な🙄)私なりに感じる生き辛さの原因の1つが、”加速しすぎた資本主義”にあるのではないかと思う。
資本主義とはまさに読んで字の如く、資本とした大のことである。
つまり、資本を増やすことが絶対正義なのである。
その理念に沿って国を動かし、経済が回ることで、物質的に豊かになるというメリットがある。💸
その反面として”労働者”からしたら、資本を生み出すマシン(会社)を動かすための”歯車にならざるを得ない、というデメリットも潜んでいる。
何事も調和が取れていることが大事なのは言うまでもないが、現代社会はこのメリットとデメリットの天秤が崩れてしまい、物質的に超豊かになった代償として、精神的な豊かさを失ってしまっている。

つまり、歯車としての役割を完徹し過ぎるあまりに、”人間らしさ”を失ってしまっていると言えるのではないだろうか。
自分の頭で考える余地が無かったり、嫌なことは嫌だと言えない役割をさせられるというのは、まさに人をモノ扱いしていると言える。
逆に人間らしさなんて、求められていないのだろう・・・。
歯車として無心で働くことを、求められているのだ・・・。
そんな会社に勤めていたらほとんどの人は仕事に行きたく無いと思うだろう、その反面どこかで人の役には立ちたいという思いも持っているはずだ。
そんな歪みの原因は、実は社会にあるのかもしれない。
人が本来持っている「誰かの役に立ちたい」という純粋な気持ちを発揮出来ていないというのは、人間らしさを喪失している、と言える...。

さらに資本主義では、常に即効性のある”成果”が求められる。
対立を生み出し、競争に打ち勝つことで成果を上げ、資本を増大する能力に長けた者が重宝され、ちやほやされる社会構造なのだ。

これって内向型から見たらめちゃくちゃしんどい!!!😱
そんな社会で暮らしていたら、内向型の自尊心なんてあっという間に失われていく。(現に私の自尊心はぼろぼろだった)
内向型はすぐに成果を出すより、長い時間をかけて熟考する方が向いているし、競争社会で他を蹴落としてでも、上を目指すという生き方は性に合わない。
成果を出すことに対して、スローかファーストかで言ったら、根っからのスローなのだ。
そんな現代の社会構造と自分の立ち場に”気付いてしまう”と、内向型の私からはこの社会が歪んでいるように見えてしまうのだ。
現代社会を取り巻いている、人間性の喪失と競争社会による疲弊。
文字に起こしただけでも、禍々しくて、吐き気がする🤮
だがそんな社会にも希望の光はある。
デジタルの普及によって、社会の多様性が認められてきたからだ。
実は内向型はデジタルと親和性が高いのである✨

内向型とデジタルの親和性

歴史的にみると、現代はとてもオープンワールドだ。
歴史を振り返ってみると、フランス革命以前は王様の言うことが絶対で人権なんて無かったし、戦後の高度経済成長期は終身雇用・年功序列によって1つの会社に居続けることが正義みたいな社会だったため、我々はある意味閉じられた世界の中で生きていたと言える。
残念なことに、そんな世界から抜け出し自立して生きていくにはコストやハードルがとても高かった。
要は、資本主義と民主主義によって自己決定権は与えられているが、その分自己責任のウェイトも大きいため、”すぐに成果が出せる”要領が良くてマッチョで外向型の人が成功しやすいゲームルールであったのだ。💪
そんな世界は内向型にとっては肩身が狭い。
大袈裟に言うと、競争社会の中で搾取されやすい立場にいた弱者であった。
そんな無理ゲー感が漂う、”雰囲気”が内向型としての生き辛さに繋がっていたのだろう。

しかし、デジタルが普及して多様性が認められてきたお陰で、ようやく内向型にも市民権が得やすい時代になった
今までは中央集権的であり、いかに成果を出して中央に近づけるかが成功の鍵だったが、デジタルによって分散型のコミュニティが簡単に成り立つようになり、居場所が作り易くなった。
イメージとしては、今まで大きな船にたくさんの役割を与えられた人達が乗っていて、実際に舵取りをするのはごく一部のトップの人だけだったところから抜け出して、小さい船だけど自分達も舵取りに関わっている感が得られるコミュニティに属する様な感じだ。
つまり、大きくて”なんとなく”安心感のある閉じられた世界の中の競争から抜け出して、オープンワールドで自由に生きることが実現可能となった。

成功して幸福を勝ち取るのではなく自ら選んだコミュニティの中に居場所を得ることで快適に・自由に・自分らしく暮らす、ということの方が人生における重要度が高くなってきたのである。

私がこうしてnoteというコミュニティの中で、居場所を自ら作り出すことによって得られる快適な状態を、コスト0・ハードル低めで成し遂げられていることがまさにデジタルの恩恵だ。
自由にインプット・アウトプットが出来るし、成果を出しても出さなくてもいい、対立が生まれてもフィールドが多様なため共存しやすい。
「自由」と「共存」がいつでもどこでも得られる世界。
自分を敬い自分らしくあることで、他人を敬い他人を受容出来る世界。
「競争」よりも「共創」が捗る世界。
もはやWi-Fiさえあればハッピーな状態だ🤗(笑)
デジタルというテクノロジーの恩恵によって内向型だけではなく、全てのマイノリティに対しても市民権が得やすくなったと言えるだろう。
これは人類史上とてつもない時代の転換点だ。
子供たちのなりたい職業の1位がYouTuberだというのも分かりやすい現象であるし、自分の居場所を求めていることの現れなのだろう。

生き辛い現代社会を生きる内向型にとっては、デジタルの中に居場所を作りやすいため、親和性(快適性)が高く、自由を得ることで自分らしく生きやすくなったと言える。
それは、息が詰まるような世界の中で、デジタルという“仮想空間”に包まれる事で呼吸が深く出来るような感覚。
これは内向型だけに限らず、外向型の人にも当てはまるだろう。
現代を生きる我々にとって大事なことは「成功・幸福の追求」よりも、自分らしくありたいという「自由への意志」を大切に育むことではないだろうか。
ところで、あなたは今、自由だろうか。

自由への意志が世界を変える

内向型の方がこの記事を読んで、少しでも救われたのなら幸いだ。
内向型×デジタルの親和性が高いことも頷けたと思う。
ただ、
「デジタルを活用して、自分は何をしたら良いのか、さっぱり分からない」
という人も多いだろう。
そんな人にはこんな質問を投げ掛けてみたい、

「あなたが普段している言動は、あなたを”自由”にするためのものですか?」

「あなたは、あなた自身を”自由”にするために、何をしたいですか?」

...

この問いに対して明確な答えや目標を言語化できる人は、すでに自由だし、すぐにでも目標に向かって取り組むべきだ。

もし、それが分からないならば、自分自身の感覚や欲求に対する”解像度”が落ちている証拠だから、徹底的に内省することで、”人生の解像度”を上げる必要がある。
そのためには四六時中、自分の言動に対して「Why?」を問いかける必要がある。
要は「禅問答」をするということだ。
その場で答えは出なくても良い、考え続けることが肝心だ。
然るべき時が来れば、自ずと答えは見えてくるはずだ。

「なぜ、これをやりたいのか?」
「なぜ、これをやりたくないのか?」
「なぜ、あの時◯◯してしまったのか?」
「なぜ、将来◯◯を成し遂げたいのか?」
「なぜ、嬉しいのか?」
「なぜ、悲しいのか?」
「なぜ、怒っているのか?」
「なぜ、泣いているのか?」

徹底的に自分と向き合えば、自分が自然とやってしまう癖自然とエネルギーが湧いてくる物事が見えてくるはずだ。
それらがポジティブなエネルギーを生み出すことであればそれがあなたにとっての才能であり、強みになる。
その才能こそがあなたが持って生まれた、自分を生かす(活かす)ために自然と溢れ出てくる「自然発生エネルギー」である。

努力しなくてもある程度出来てしまっていたことや、自然と興味が湧いていて知らずとはまっていた、気付いたら誰かを助けていたという経験が誰しもあると思う。
ただこの自然発生エネルギーが何に対して沸くかというのは経験や年数や運などが多分に影響するため、なかなか見つけることが出来ない。
すぐには見つからないし、人から教えて貰うものでもないのだ。
本を読む・旅をする・人と交流することで、自然と見えてくるものなのかもしれない。

まずは、自分自身と深く向き合うことから、全ては始まる。

...

内向型の人はデジタルとの親和性が高いから、やりたいことが見つかれば大抵の場合、デジタルを活用して目標に近づけると思う。
その目標を成し遂げるということは、あなた自身を自由にして、自分らしい生き方を追求するということだ。
実はそんな「自由への意志」には、常識を打ち破るようなエネルギーが備わっている。
フランス革命は王権から自由になりたいという、民衆の自由への渇望が大きなムーブメントを巻き起こす原動力となった。

一人一人の自由への意志は、それぞれが持って生まれた自然発生エネルギーによって後押しされる。
要は、「自由への意志」という目的を達成するために、「自然発生エネルギー」という手段を活用すると上手く行きやすいし、何より心地が良いということだ。
目的は1つだが手段はいくらでもある。
数ある手段の中で自分の”才能”という自然発生エネルギーを活用することが生き物としても”自然な状態”なのだ。

複雑化した社会の中で、自分にとっての”自然な状態”が見えなくなっていないか、注視して生きていかないといけない。


自分の全てを受け入れて、
自分の強みを活かして、
自由に生きていきたい、
という意志や願望を誰もが持っているだろう。
綺麗事だと切り捨てたくなるだろうが、そんな思いを大切にするべきだ。
もっとありのままに生きて良いのだ。
その意志はいつか”世界”を変えるかもしれない。
少なくとも、”自分の世界”くらいは変えられるだろう。

内向型が”世界を変える”には、自分と徹底的に向き合うこと。

そう強く信じて、
組織から離れた後に、
自分らしく生きるための準備を、
私は今着々と進めているところだ。

#もう内向型は組織で働かなくてもいい




あなたは、どう生きるか。


書籍の中で様々なワークが用意されていましたが、私にとってはこうしてnote上で発信することが一番のワークになりました。
私が長年抱えていた思いをこうして発信することが出来て、とても貴重で有り難い経験をさせて頂きました。
この書籍を #読書の秋2021 で取り上げて頂いたお陰で、このようにご縁が結ばれたのではないかと思います。
出版社の世界文化社様、著者のゆかり様
素敵なご縁を頂き、有り難う御座いました。
そして、noteをこれからも活用させて頂きたいと思います。

因みに、私の夢は「人生の解像度を上げること」です。


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