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日本へ一時帰国

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一時帰国で日本を堪能。コロナの退避帰国の一年も収めます。
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#上海

日本に帰国するのは、今、これだけ大変

春節前に、一年ぶりに主人が日本に一時帰国する予定。今までは、帰りたい日を決めてサクッとフライト予約すれば終わり!でした。それが今や ,比べ物にならないぐらいの一大事になっています。 1.フライト予約ー上海〜関空は吉祥航空が週1便のみ運行。この航空会社はLCC並みのリーズナブルな料金で5万円もしなかったのですが、今や往復40万円!! 2. PCR検査を受けて陰性でも公共機関を使わないで、ということなので関空から奈良までハイヤー予約 3. 2週間待機の宿泊場所を予約 4.

主人との会話に絶句する

少し忙しいのが治まってきた模様の主人から珍しく平日夜電話。 「このところ、上海、急に寒なったわ」 というので 「遠赤外線のストーブと送風タイプのストーブ出してこないとね。ピアノも無くなって(弾き手が日本に戻っているので レンタル代だけ発生してしまいますから撤去しました)、人もいないから、寒々しいもんね、部屋、広いし」 というと 「いや、ストーブしまってないから。そのまんま出してある。」 と主人。 え?絶句。そうか、私たちが上海の家を後にしたのは1月末の真冬だった

真っ白のスケジュール帳

今後の予定、はっきりしているのは来月の人間ドックだけ。 あとは全部未定。こんなことって... まず大学が決まらないと入学手続きができない。 それが決まらないと、住むところも探せない。 住むところを探さないと引っ越しもできない。仮住まいといいながら、何度も荷物を送ってもらったので、結構な荷物になってしまっている。 そして中国のビザ発給がいつ再開されるか分からないので、いつ上海に戻る用意に入れば良いかもわからない。 親にも会いに帰省したいけど、今の状況ではとても無理だ

人生は決断の連続

今日は秋晴れの気持ち良い一日。奈良公園も、紅葉が”見頃”となっているようですが、週末は人出が多いので平日に行こう、とあえて観光地は避ける週末です。 人生は決断の連続。毎日人は、たくさんのことを決めて暮らしています。”決断”というと大げさかもしれないけれど、明日は何時に起きようかな、朝ごはんはパンとご飯、どちらにしようかな?こんなことだって 小さな決断。”この人と結婚していいの?”これは大きな決断の方かな。 毎日の小さな決断が積み重なって、今が作られている。どの学校にいこう

スギサポwalkのある生活

少し前にテレビでスギ薬局のアプリで、歩けば歩くほどマイルがたまって、景品交換してくれる、というのを見ました。面白いけど、そんなん、ビジネスにプラスになるんかなあ、と家族で話をしていました。 実は、私がほぼ毎日行くショッピングモールにもスギ薬局が入っています。今、車のない生活なので、一度に買い出しできる量が限られていて、結果、ほぼ毎日買い物に行っているわけですが。 もう9ヶ月も住んでいるのに、今更ながら、スギ薬局の店員さんに勧められてアプリを入れてみたら、そこにスギサポwa

国内6カ所、海外2カ所住んだ私が選ぶThe best place to live

転勤族の我が家。生まれてからこのかた住んだところは、岡山、京都、大阪、神奈川、静岡、奈良、香港、上海。同じ街で引越しもしているので、今まで引っ越すこと13回。パッキングも慣れたもので、いつでも引越し業者で効率よくパッキング作業のバイトができる自信あり!荷物が届いたらその日のうちに全て開梱して、家族6人分の荷物を片付けてしまう早業も持っています。そんな私が選ぶthe best place to liveは? My best place to liveは 古の都”奈良”京都も住

生産者の顔が浮かぶお届け物

ネットで”家庭用”のりんご10キロ箱を頼んでみました。 普段はスーパーで数個入りのものを買うのですが、如何せん、上海で買うリンゴに比べると、日本のリンゴって本当に高い!リンゴに限らず、日本のフルーツはとても高いのです。もちろん、それだけの丹精込めて作られているからなのですが。 ネットで、産地直送、”家庭用”という箱売りのものを見つけて注文して見ました。形が不揃いでも、味が良ければ何も問題なし!これでリンゴを心置きなく食べられる、と楽しみに待ちました。 もともと発送予定を

家族で暮らせること、家族に会えること、それが叶わない今

ウイズコロナの世界になる前から、我が家にとって、家族で暮らせること、家族に会いたい時にすぐ会えることは 当たり前ではなかった。 香港駐在から戻り、主人一人単身赴任して、私と子供4人、そんな生活が七年続いた。でも、そんな状況は、転勤が当たり前の日本社会では 決して珍しくない。 そして上海に赴任した後、今度は、家族にいつでも会える、ということが不可能になった。上の二人は日本で社会人。三人目はアメリカの大学。日米中に離れて暮らすこと六年。アメリカに送り出したときは、今度はいつ会