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刈谷メソッド_31「承認欲求との付き合い あるいは今後の編集のあり方」

「番外編2」であげた項目もほとんど残り少なくなってきました。
このあと特に伝えたいことが思い浮かなければ、残り1~2回で終わることになると思います。
 10月18日が力造くんの一周忌なので、16~17の土日が最終回だとそれっぽいなという気持ちもありますが、まあ、そのために無理矢理ネタを探すのも本末転倒なので、自分なりに必要ではないかと思うことを書いて、スパッと終わるつもりです。

 そんなわけで、承認欲求との付き合い方ですね。編集者にとって、ここのバランスは結構重要だと思います。
 当然ですが、発売・発表される商品でもっとも注目を浴びるべきは作者さんです。それからイラストレーターさん、グラフィックデザイナーさん。編集はまあ、目立つ必要はない。それが編集としての刈谷の個人的なスタンスです。
 ちなみにわたしは編集として関わった商品には基本的に「編集:刈谷圭司」と入れるようにしていますが、これは本当に承認欲求的な気分はゼロで、本当ならあまり載せたくないくらいなのですが(笑)、これはわたしなりの責任の取り方です。つまり商品に対する不満があった際、刈谷が責任を取りますということです。

 これはわたしの個人的な経験に根差した考え方かもしれません。
 わたし自身の話をしますと、グループSNEに入社させていただき、最初に自分がメインで開発に関わった商品が『トレインレイダー』というボードゲームだったのですが、こちら、作者名は「安田均」だけクレジットされているんですね。まあ、このころは「オレの名前も載せてくれたらいいのに」などと思ったりもしたのですが、次に作った『マーメイドレイン』はまさに自分の名前で出ることになったんですね。
 これがまあプレッシャーで。
 自分が作ったものにメーカーさんがお金を出してくれて、イラストが付き、グラフィックデザインが付き、工場が印刷して、商品を運送してくれる方々がいて、小売りの方が売ってくれるわけで。自分がちょっとルールをいじることが、売れ行きなどを左右し、さまざまなみなさんの生活に影響してしまう。では正解はいったい何なのか。相当自問自答しましたし、校了前の1か月間くらいは、夕方SNEから帰る電車の中で常に「いま神戸港に沈むことができたら楽になれるのに」と思っていたものです。
 いま思えばそこまで大したプレッシャーではないんですが(笑)、ピュアだったんですね~。

 なので、わたしは商品には編集として自分の名前をクレジットするようにしているのです。これはわたしなりの、「一緒に戦場に立ちますよ」という、作者さんへのメッセージです。
 実際、ユーザーさんが商品に不満をもった場合、その責任の大半は編集が負うべきだと思っています。
 ゲームの面白い、面白くないは作者さんの領分な気もしますが、そもそもその方のゲームを出させてほしいとお願いしたのは会社(編集サイド)なわけですから、それで「面白くないゲームを作った作者が悪い」なんてことを言えるはずがありません。ゲームの面白さをお客さんに伝えることができなかった編集が悪いのです。
 イラストやグラフィックに不満を持たれた場合も、商品とマッチしないような方を選び、マッチしない仕事を発注してしまった編集に責任がある。わたしはそう考えます。
 もちろん、そのスタンスに立つと編集は消耗しますから、出版社などは編集者を守るために、編集者の個人名は出さずに組織で責任をかぶる体制にしてあるところがほとんどかと思います。それで編集者がバタバタ潰れても困りますからね。
 でもそれって、作者さんに対して無責任ですよね、というのがわたしのスタンスです。じゃあ作者さんは壊れてもいいの? という。作家候補は世の中にたくさんいるから大丈夫? 本音で語れば、組織運営としてはそちらの方が正しいのかもしれません。
 でもまあ、わたしは嫌なんですね。
 だからわたしは、自分が関わった商品には自分の名前をクレジットするようにしています。

 ちなみにゲームマーケット事務局長という肩書を表に出しているのも、同じ考え方です。
 ぶっちゃけ名前なんか出さない方が気楽でいいです(笑)。でもそれだと無責任なわけで。何かあったときに、「ゲームマーケット事務局という組織の責任です」というスタンスは、あまり誠実ではないよな……と思ってしまうのです。あくまで個人的な感じ方ですし、やり方を間違えると個人では負いきれない責任を負わせることになって危険かもしれませんので、あらゆるシチュエーションに当てはめるべきとは思いませんが。


 さて、承認欲求の話だったのに、早くも壮大に脱線してしまいました。
 そんな感じで刈谷個人はあまり承認欲求は強くないと思っています。自覚してないだけかもしれませんが(笑)。
「承認欲求ない奴が、『刈谷メソッド』なんてえらそーなタイトルの手記を書くはずねーだろ」という声がありそうですが、これも個人的には責任の取り方の一環のつもりです。ここで展開しているのはあくまで「刈谷個人の考え方」であって、これがボードゲーム編集のスタンダードだとか言うつもりが毛頭ないからです。むしろそう思われたくない(笑)。
 ボードゲームの編集論なんてたくさんあるべきですし、時代とともに変化するものだとも思うので、今後いろいろな目標に向かって頑張る皆さんが、いろいろ考えるうえでの検討材料のひとつになれればいいなと、そういう気分で書いているものです。
『刈谷メソッド』と書いておけば、誤解の要素なく「あくまで刈谷のやり方はこうということなんだな」と伝わるんじゃないかという、そういう考えで名付けました。『あるボドゲ編集のひとりごと』といったタイトルの方が、かえって押しつけがましくないかなあという判断です。
 まあ、そのへんも全部個人の感覚ですね(笑)。


 全然本題にたどり着かないな。
 ここまで書いておいてなんですが、今日伝えたい内容のメインは、

「これからは編集ももっと表に出るべきかも」

 ということになります(笑)。

 最近「ジャンプ+」というweb上の漫画サービスが勢いがありますよね。『SPY×FAMILY』『怪獣8号』『ダンダダン』などなど、「週刊少年ジャンプ」本誌を超えるのではないかと思うほどのコンテンツ力です。
 そうした「ジャンプ+」のすさまじい連載陣を支える編集さんの1人が、林士平さんです。
 わたしが林子平さんを認識するようになったのは、twitterで『チェンソーマン』のことを調べると、やたら林子平さんが出てくるからでした。
 とにかくこの方の熱量が凄い。
 そしてその熱量のままに、『SPY×FAMILY』や『ダンダダン』まで見るようになってしまいました。いまでは「林子平さんが担当しているなら面白いんだろうな」と思ってしまうほどです。
「作者買い」ならぬ「編集買い」で、わたしが知る限り、マンガ編集業界でこんなことは見たことがありません。
 鳥嶋さんが「ドクターマシリト」のモデルで、鳥山明さんの担当編集だったことは知っていても、桂正和さんの担当編集でもあったことは後になるまで知りませんでしたし。

 もちろんこうした状況は、SNSが高度に発達し、情報発信の方法論がまったく変わってしまったことが原因かもしれませんが、であれば、というか、であるからこそ、編集者も変わるべきなのかなと。

 上記の例にあげた林子平さんのような作品への関わり方、つまりややもすれば作者さんよりも担当編集が目立ってしまうようなやり方は、いままではタブーに近かったと思うのです。
 わたし自身も、商品に自分の名前まではクレジットしますが、出た商品に対して「このゲーム面白いよ!」「刈谷が担当しました!」なんてことはいちいち言わず、「面白いかどうかはお客さんが判断すればいい」「作者さんがお客さんにお礼を言ったりするのはともかく、編集が臆面もなく表に出たりするものではない」というスタンスでいたわけですが、これからは編集も自分をプロデュースする時代なのかもしれんなあと思ったりしているところです。

 わたしはもう50歳で、いまから自分の生き方を変えるのは難しいですが、30代以下なら、むしろ編集としての自分自身すらプロデュースして生き残るべきなのかもなと思ったりしています。

 それでも、承認欲求という話に戻れば、やはり編集は承認欲求で動くべきではないと思います。
 承認欲求で動きたいなら、作者の方に回るべきです。
 例にあげた林子平さんも、正直ガンガンに目立っていますが、それでも林子平さん自身は承認欲求のために動いているのではないはずです。林子平さんからお聞きしたことはありませんが、これはそこそこ自信があります。林子平さんはとにかく、自分が担当している作品を広めたい、多くの人に読んでほしい、その一心なのだと思います。
 その清々しさといいますか、潔さが伝わってきます。
 だから作者よりも目立つような言動があったとしても、嫌味なく受け入れられる。純粋なんですね。行動原理が。

 わたしのような古いタイプの人間は、ついつい行動に美しさを求めてしまいます。それはそれでひとつの生き方であり、否定されることでもないと思っていますが、逆に言えば、林子平さんのようなスタンスも編集としてのひとつのあり方であり、否定されることではないし、これからの世の中、そちらの方がお客さんの共感を得ることができそうな気がします。

 そんなわけで、承認欲求のことを語っているのか何なのか分からなくなっているかもしれませんが(笑)、実のところ、わたしの中ではブレていなくて。
 今回の内容をまとめると以下のようになるかと思います。


・刈谷はいままで編集としては「責任を共有しながらも出しゃばらず」といスタンスで来た。自らの承認欲求など気にするのは邪道。

・だが最近は、編集者も自らをプロデュースする時代になった気がする。情報が氾濫する世界で、自分が関わった商品をアピールするためには、黒子に徹するだけでは不十分なことが多い。

・ただし、その際も立ち位置はあくまで「商品のアピールありき」であり、自らの承認欲求を気にするのは邪道。


 ……なぜ編集が承認欲求を満たそうとするのは良くないのでしょうか。それはもう、「お客さんの鼻につく」からに他なりません。作品はあくまで作者さんのものです。お客さんは作者さんが表現する世界を楽しむために商品を手に取ります。そうした際、編集の承認欲求が視界をチラつくと、素直に邪魔なんですね。「いや別に、あんたのこと呼んでないし」という。

 先にも書きましたが、林子平さんの行動はあくまで作品ありき。自分が関わり、作者さんと一緒に汗をかき、苦しみ、寄り添った者として、とにかくその作品を紹介したい。読んでほしい。そこだけなんですよね。
 正直そこはポーズでもいいです。見る人にそう信じさせることさえできれば。でもウソだとバレれば相手は一気に覚めてしまう。であればウソをつくより、本気でやった方が楽です(笑)。

 若いうちは、なんだかんだ承認欲求にとらわれることもあるかと思います。
 つまり「軽く扱われたくない」「敬意を得たい」という気持ちですね。「オレってこう見えて凄いんだぞ」とアピールしたい。
 その気持ちは分からないでもないです。
 でもまあ、そうしたアピールで「この人凄ぇ!」となることはほぼないです。
「この人凄ぇ!」となるのは、原則実績に対してです。
 実績がまぎれのないものであれば、隠れていても向こうが探してきます。

 ですので若い人は一足飛びに評価を求めず、遠回りに見えるようでも、ひとつずつ課題をクリアして実績を重ねていくべきです。
 たまに一足飛びに評価を得る人もいて、そうした人を見ると焦るものですが、それでもやはり、他人の評価を気にせず、地道に目の前の仕事をこなしていくべきです。
 そうした仕事を重ねていれば、勝手に評価はついてくるのです。


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