待つということ

待てない

「待つということ」私は時たま、この言葉を頭に浮かべる。
自分への、戒めのためだ。

現代人は毎日いそがしく生きている。
ずーっと電子機器に触れ、時計に追われて1日を終える。終えた、よりも(1日が勝手に)終わったの方が正しいだろう。

待てるか?

呼吸に耳を澄ます。吸った息が身体のどこを通ってど子まで入って、どう抜けていくのか。どういう吸い方がいいのだろうか。頭の中に浮かんだ考えに、脳みそを取られずに、判断もせずに、そのまま、その浮かんだ考えを離す。消えていく。

いま、わたしは、息をしている。心臓が動いている。生きている——————。

命が今日も或る、私は存在している。すごい。
周りに、環境に、地球に、生かされている。地球と繋がる。周りのものと繋がる。周りの人と繋がる。太陽眩しい。すごい。
この、満たされている感覚。気持ちいい。幸せだあ。ありがたい。本当、すごい。

多分、瞑想を始めて8分くらいは頭に浮かんでくる考えに邪魔される。消そうと努めても、難しい。消しても消しても、浮かんでくる。
9分めくらいからやっと、いま、に集中できてくる。
そして10分に設定していたタイマーが音を鳴らす。

待つ

3秒間、とかからやるしかないのかもしれない。
かなり、待てない動物になっていると思う。待つということは我慢すること、自分で制御すること、自分を理解すること.. ..。
待つということが、いろんなことを物語る。
待つという時に、時の流れを”味わう”。
時の流れゆくのを味わう。

生命共同体感覚を思い出す。


ーかりんご


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