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1月1日に被災者になった話 2

1月2日

泣きじゃくっていた長女は疲れて車内で寝てしまった。
私は二女を抱きながら一夜を明かした。

「この山が崩れたら…」「木が倒れてきたら…」
余震のたびに身を縮めて過ごしていたが、真っ暗闇から空が白んでくるにつれて、私の気持ちも少しずつ落ち着いてきた。人間は、ずっと緊張しているのは無理なのだと知った。

ネットも繋がるようになってきた。どうやら、近くの地区で津波の被害があったらしい。

完全に外が明るくなった時、夫が、弟と連絡が取れなくなったので探しに行くと言った。

夫が行くと言ったのは、私がさっき調べたばかりの津波が来たらしい地区。津波警報は解除されたがまだ注意報。
このまま行かせて夫が死んだらどうしよう。
また大きな地震が来たら、土地勘のないこの場所で、私は子ども二人を守れるのか。
なにより私がとにかく心細くて不安だった。
とっさに「行かないでほしい。」と懇願していた。
夫は、「わかったよ。」と言ってくれたけれど、
私はなんて残酷なことを言っているんだろうと思うと、情けなくて申し訳なくて悔しくて怖くて怖くて涙が出た。

夫の弟は、妻と生まれたばかりの赤ちゃんを連れて、その後すぐに私たちが避難していた場所に来た。安心して涙が出た。


まだまだ被害状況は分からなかったが、とにかく避難所に行こうという話になり、私たちは高台から降り、車で近くの中学校に向かった。

町の中はすっかり変わり果てていた。家は軒並み崩れ、潰れた車もたくさん見た。電柱が傾き、今にも倒れてきそうだった。
今揺れたら…そう思うと涙が出そうなくらい怖かった。「早くおうちに帰ろう。」と必死に訴える長女の手を握り、涙を堪えていた。

もし崩れたこの家の下に人がいたら…見つけてしまったら…助けずに素通りすることなんてできなくなってしまう。一刻も早く、少しでも安全な場所に子どもたちを運びたいのに…
だから見ない。外は見ない。
そんな真っ黒い考えで頭がいっぱいの自分が憎くて、辛かった。

避難所までの道のりは、倒壊した家屋が道を塞いでいたり、電線が垂れ下がっていたりして、車が通行できない場所ばかり。八方塞がり。
諦めかけた時、家の様子を見に来ていた近所のおばあちゃんが、「これは電線じゃなくて電話線だから通れるよ。」と教えてくれた。
電話線をくぐり、やっとやっと避難所に指定されている中学校に辿り着いたものの、そこはまだ避難所として開設されていなかった。

がっかりして夫の実家に引き返す。
 
この先どうなるのか、とにかく不安でいっぱいだった。

続く

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