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アバウトタイム

映画を見ました
「アバウトタイム」

僕の家系の男共は、タイムリープができる。
それを20歳の誕生日に父親に聞かされる。
どう生きる?どう生きたい?

嘘だろ?父さん。僕を騙すのか?
いいや。嘘だと思うならやってみろ。
暗い場所で拳を握り、
戻りたい時を強く念じるんだ。

そう、そうこうしてると
ホントに戻ってしまった。

さて、どう生きる?


そんなストーリーなのですが。


『戻ったつもりで一日を大切に過ごす。』
これがいかに大事で難しいことか。

繰り返しの中の、いちにち。
今日が終われば明日は休み!の“今日”。
サッと終わって欲しいと願ってしまう日々。

そのサッと終わって欲しいと願った一瞬に、
未来のわたしはどんなことを願って、
戻ってくるのか?

あのさ、そんなん、
わかるわけがねーのよ。笑
わたし、未来のこと、知らないし。
今この一瞬がどんなことに繋がってるかなんて、
知らないし。

映画で主人公は、
手にしたいものを手にしてから
そんな悟りを開いたような
説教臭いそんな人生の深イイ話をしていて
ずっるいのよ。笑

そんな文句を言いながらも
結局、単純な私は、
『今日を大切に生きよう』
とか思って綺麗な一日を過ごそうと仕事も頑張っちゃったよね。

たださ、
映画みたいに綺麗な生活は待ってなくて
わたし、子どももいないし、
そもそも結婚できるか分からないし
仕事が順調に進んでるかって言ったら全然で、自分の未熟さに日々打ちひしがれて
お酒を飲んだりしてるし……

そんな綺麗とは言えないこんな日々も
大切と思いながら過ごしたら
未来からみてちょっとは、眩しくて
笑って思い出せる一日になるのかしら。


アバウトタイムのように綺麗な人生を
送れたりはしてないかもしれないけど
やり直してきた未来のわたしが
いま、正しい行動をしているのかは
分からないのだけど、
そもそも正しい、正しくないなんて
正解を求める日々は味気ないのかもしれないなあと。

もう五年前か。
彼女持ちの男の人を好きになって
さらにはセフレになってしまって
毎日やぶれかぶれな気持ちになって
人の不幸を望んでしまうような
アホな人間に成り下がってしまい
シフトの仕事で安定しない生活リズム、
毎日寝不足のなか満員電車で出勤、
底のすり減った靴と心を穿いて
生活してたあの日々が

いまの、この澱みない気持ちと
生活を導いてくれたかと思うと
正解でも不正解でもなく
あれはあれであって良かった、
痛い目見といてよかった。
毎日泣いて暮らして良かった。
と思うんですよね。

別に毎日を大切に生きていなくても
やり直してきた一日だから、
とか、はりきらなくても。
わたしはわたしとして生活してきて
今を迎えてるので。
そう、はりきって毎日やらなくていいのよ。

自分で決める人生であれば、
いいと思うのよ。

そんなこんなで、
『戻ったつもりで一日を大切に過ごす。』
からは、方向を変えて
わたしは私で、生きることにしました。
やり直さなくても、
わたしは私の意思で、
失敗することを望んでるので。

失敗から立ち直ることも含めて、
大切な人生として生きていこう。


ただね、
戻りたいと思うことは多々ある。
例えばなんだけど。
最近付き合い始めた彼を見つめてたら
チューされちゃった瞬間とか。
額縁に入れて飾って眺めたい。
なんだ?その惚気。いらねえだろ。
はい。そうですね。すみません。
終わります。