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面白いってなんだ?

1ヶ月以上、noteをおやすみしていました。ちょっとだけ仕事は増えましたが、それでも「大忙し!」というわけではなくて、では何をしていたかというと、おもに「面白いってなんだろう」ということを考えていました。

小説や漫画やドラマや映画、エッセイ、コラム、ゲーム、雑誌、WEB記事、広告、動画、言葉そのもの、それ以外にもいろいろたくさん。私の身のまわりには面白いものがあふれています。私はそれらを「面白い」と感じる。でも、私は、それの「なに」を「どんな風に」面白いと感じているんだろう?

私は、たぶん、とても感覚的な人間なんだと思います。対象物に対して、なにかを感じた時、その感じたもののカタマリ、それをそのまま抱えてしまうことに、違和感を抱かない。理由や理論を求めない。求めない、というか、それは感覚の中に「ある」と感じてる。それで満足してしまえる。

もっと言えば、理由や理論にしてしまうことを、「好ましくないこと」だと思っているフシがあります。「考えるな。感じろ」。感情・感覚 > 理由・理論。言葉では、わずかにでも絶対にすくいあげられないものがあるから、それなら、そのままにしておくのが最善の方法だと。

思ってたんです。

でも、ずっとそれでやってきたのに、行き止まりが見えてしまった。自分で「面白い」を生み出そうとしたとき、その感じたもののカタマリだけでは、足りないのだと気づいたんです。これまで私がかかえてきた、たくさんの「面白さのカタマリ」。誰に説明するのでもないのだから、このままでいい、と思っていたのだけど、そのままだと、自分自身にも説明ができない。

たぶん、私はサボっていただけでした。理由や理論にすることを。言葉で説明できるギリギリまで、言葉をつかうことを。それはとても疲れるし、それに、もっと上手にできる人がたくさんいるから。上手な人たちを横目でうらやまし気にながめながら、「でもいいの。私は感じてるんだから」と言い訳をしていただけでした。

ということで、この1ヶ月、私は、時間を見つけては、私の「面白い」を言葉にする作業をしていました。

たとえば、ラブストーリー。

男が出てくる。女が出てくる。きっと恋に落ちると思って、その通りになる。あの映画も、この小説も、それに変わりはないのに。そこに引き込まれる場合とそうじゃない場合、なにがちがうのだろう。なにがそれを分けているんだろう。

大好きな「面白い」たちを、私は犯人捜しをする刑事みたいな気持ちになって、おさらいしています。どこ?どこ?おまえの「面白い」はどこにあるんだ、って。

1ヶ月たっても、全然得意にはならないけれど、いくつか発見もあって、楽しいです。

リンゴを描く画家は、見るだけでなく、触って、匂いを嗅いで、食べてみるはず。できる限り、言葉通りできる限り、まずは知ること。「面白い」を知ること。もう少し続けようと思っています。

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