日記 2024/6/23
今週は大量の仕事をし、ぶっ倒れるというネテロのルーティンみたいなことを繰り返していたら一週間が終わっていた。(毎日しっかり日は沈んでいた。)疲労でぶっ倒れている間に土日も終わっていた。65歳とかまでこれを繰り返して死ぬとしたら、そこはもう地獄と呼んでいい。
何とも理由なく、梶井基次郎の桜の樹の下に〜の元ネタ(そもそもそういうタイトル)を読んでみた。全体的にちょっと言い過ぎ!、と思ってしまった。。。筆力も語彙も凄いし美しいが、、、やっぱり言い過ぎじゃないかな。素直に美しさにしみじみと思うことへの反抗を感じて尻込みしてしまう。あと、昔の人より私がそこまで桜に思い入れがないのもあるかな。
ピラミッドの下にも死体は埋まっている!
ニコニコ動画が攻撃を受けてサービスダウンしているらしい。最近はそもそも全然ニコニコ見てなかったこともあり、申し訳ないけど対岸の火事感があるな。ニコニコはだいぶ方向性違うしYoutubeにこんなに人が移っていくなんて昔は考えもしなかったんだけどね。高校の頃とかニコニコで何みてたっけ?青鬼のRTA?
あ、コメント書きながらアニメみんなで見てる体験はあそこにしかなかったかもしれない。なぜか「人類は衰退しました」を見ていた記憶が鮮明にある。なぜか、というかオープニングでインド人がノリノリで踊っている動画のイメージから絶対に来ている。
作業用にYoutubeで無限に音楽を垂れ流すのだが、エレクトロスウィングっていうのいい感じかも。ノリノリでウキウキだから。どうでもいいがエレクトロスウィングって名前、「電流イライラ棒の英語版です」と嘘ついてもギリギリ騙せそうじゃないか?
連携しているTwitterアカウントに「絵を描く、ゲームを作る」と書いてあるが全くやれていない。このままでは忙しいな〜と鳴いているだけで一生を終えてしまう。絵を描いたりゲーム作ったりしなければ。
廃墟の写真やイラストが好きで、廃墟がなぜ良いか、ということについて最近考えている。退廃的なイメージにノスタルジーを感じるということ以上に、そこには「離れられた」という安心があるのかな、と考えている。人には日々の生活があり、社会の求める期待があり、家庭での役割がある。廃墟という人の管理から外れ、代謝が停止した建造物には、人工物でありながらもはや何の役割も期待もない。後はただ自然に従って風化するのみだ。その自由さに自分を重ねて安心するのではないだろうか。当然、そこにはもう何も求められることがなくなった、という切なさもセットでついてくるのだけれど。
久しぶりにおっくねっと。を覗いたらサーバが落ちていて肝が冷えた。ただ、ブログは普通に更新されていて問題なさそうだった。よかった。アニメ企画をやっており声優を募集していた。パワフルだなあ、見習いたい。
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