0714-0720 芸術、言語化

もっと人に寄り添いたい。悲しみや苦しみに共に向き合いたい。
私自身のありたいと思う姿に「人を傷つけない」は大前提にあるとして、「傷ついた人を助ける」もきっとどこかにあって。

先生に就活やら進路の相談をした時にも、同じようなことを伝えた。
そういうことができるのならば必ずしも芸術の分野じゃなくてもいいと思っていて、だから悩んでいるんですと。「人を助けたい」なんて大口は叩けないので「変化を起こしたい」みたいなニュアンスだったかと思うけど。

「お前はどんな仕事をしようが、勝手にそれをしてしまうから心配するな」

ある意味では呪いだろうなと思う。
「なんであの時、大人たちはみんな私を助けてくれなかったんだ」という怒りが記憶の奥底にあって、「自分はそんな大人にはなりたくない、なってたまるか」という反面教師が心の中に長いこと棲みついている。


いつかは芸術畑に戻るのだろうなという気持ちが最近少しずつ、でも確かに膨らんでいる。
島に芸術は求めていない。その筈だった。今だってそれを仕事に絡ませたい等とは一切思わないけれど、アートの話があれば咄嗟に食いついてしまうくらいには、この身体にとって必要な栄養素だったのだなと思う。

陳腐な考えだけど、芸術は人間の本質や真理といったものを根底のところに持っていると信じている。島で営まれる暮らしも同じものを抱えているような。そして、そこで提供される体験もまた、同様に。
“原体験”を、私はまだ言語化したくない。“アート”のことだって。


指を交互に組んで胸のあたりまで持ち上げる。
目を閉じて頭を前に傾ける。

願うことと祈ることは違う。
今はただ祈りたい。言葉は何もいらない。