0611
今、ここにいるという感覚。
現実感の喪失に向き合う夜。
寝静まったリビングでペンを走らせる。
並んだ文字は小さくて弱い。精神状態が如実に表れる。
ノートの前にはいつも「書く私」と「読む私」がいる。
「読む私」の存在がより大きくなる時、現実感が喪失する。
手を動かしながらも、そこに書かれる言葉や物語が、私ではなく誰かのものであるように思う。
「人は何のために生きるのか」という問いに対して、今の私なら「幸せになるため」と答える。
「人生とは」と聞かれれば「幸福の追求」だと。
私が島に来てから度々抱くのは、幸せという感情、それから生きているという実感。
ああ、今幸せだな…と思う瞬間がいくつもあって、そういった場面に必ずあるのは、美しい景色と柔らかな心。想いが目の前の景色とリンクして、より繊細になって自分に返ってくる。
私は今、ここに生きているのだと強く信じられる。
なぜ島に?と聞かれて毎度上手く答えられないけれど、本質的なところを突くならば「幸せになるため」なのだと思う。
なんだかなぁ…が続く日々の中で変わりたいと願っていたのも、小さい頃の記憶を必死に掘り起こしていたのも全て、幸福を探し出そうとした結果。
消えてしまいたい、終わらせたいと繰り返しながらも、私はずっと生きようとしていたんだなと気付く。
「人生は辛いもんだ、それが当たり前だ」なんて思っていたけれど、もしもそれが“幸せな”人生なら、もう暫く生きてみてもいいかなと思える。