0712 対話、人、地域
書き続けてみれば、なんて言われて今もこうして書いている。
他人の変化を見て羨ましくなる。私はどれだけ変われただろうか。
1か月ほど、停滞を感じている。今、自分が大きな渦の中にいることは確かなのだけど、どうにも抜け出し方が分からなくて、ずーっと流されて抗って…を繰り返している。
“人と話すこと”が自分自身にとってどれほど大切なことなのか、そして、今までの私はそれをどれほど蔑ろにしてきたのかを自覚する。
対話することは確かめ合うこと。
私とあなたの関係を考えること。
答えを構築すること。
最近の気付き①
人の会話や行動は、それぞれの置かれた環境や状況に影響を受ける。地方では、それが大きすぎる。
大学の先輩で生きるのにめちゃくちゃ苦労している人がいた。彼女は生きづらさの原因について、「田舎で育ったから」だと断言していた。地方の狭いコミュニティ内、そこに築かれた家庭。母親は親戚やご近所さんとの関係をよく気にしていた。コロナ禍では、1人で不安になっている彼女に対して「帰ってこないで」と。「愛されていなかったわけじゃない」と話す。だけど、ずっとずっと泣いていた。
私は最近、彼女のことをよく思い出す。
昨夜、夢を見た。地下街みたいな場所を歩いていて、これぞまさに都会という感じだった。今ここですれ違う人は、次の瞬間には顔も忘れていて、その存在すら無意識下に落ちてしまう。だから、いちいち相手の思惑を想像したり、上下関係を気にしたりしなくていい。堂々と振る舞える。
3月半ば、「大変だったことは?」と聞かれて「人間関係」って答えた気がする。もしこれがただの旅先だったら、私はもっといい加減になって気楽に話をしている。旅の恥は掻き捨てっていうのはこういうことだろうと思う。だけどここでは、今日の恥はちゃんと明日に引き継がれる。捨てられない。毎日すれ違う人ひとりひとり、車一台一台を気に掛ける。だから自分の今日の行いは慎重に考えましょうねっていう話。
冬の私は「地域に入る」ということのほんの一部しか知らないのに、理解した気になっていたのかもしれないと思う。「地域」や「地方」を深掘りしていくと、その奥には「人間の本質」が眠っている気がしてきた今日この頃。
来年どうするの?と聞かれて、一緒に予定を立ててしまっているあたり、私はどうやっても離れられないらしい。船に乗ったくらいで簡単に切れてしまう関係なんて縁とは呼べないもんね。
夏に向かって進む天気予報を眺めて胸の高鳴りを感じると共に、冷や汗が出てくるような胸のざわめきを感じる。
きっとこの夏が過ぎれば終わりが見えてくる。意識せざるを得ない。脳内では、すでに秋の香りが鼻孔をくすぐる。四季を楽しむなんて意気込んでいたけれど、「よし、楽しむぞ」と肩を回している間にその季節は過ぎ去っている。
一日の終わりに「いい日だったな」と軽く思えるだけで十分。数年後には特別な一日になっているに違いない。今日の”記憶”を”思い出”に熟成させることが最近の楽しみになりつつある。