僕が考える登米市での花育のカタチ
2010年でした
行政が管轄する『花育』の取り組みに
自分なりに出来ることはないのか
先ずは、自分が住んでいる登米市で出来ること
登米市内の15件全ての花屋さんを廻って
JA登米農協の役員会議にプレゼンして
登米市の教育委員会に説明して
仙台市場の理解を頂いて
お花業界の未来に希望の種を育む施策として
僕なりに考える『花育』のカタチを熱く話していたのは
2010年でした
最近
10年前にこんなこと考えて、2011年の春からやってみようかぁ
なんて話しになっていたんです!!
思い出話しのように話していたら
まだまだ、これからでもやってみましょうよ!!
なんて言ってくれる方々が沢山になって来て
忘れないように
ちょっと書き出しておこうって
登米市の街の学校には、全クラス「花係り」が居るんです!!
花係りの人たちは、近くの花屋さんに行くと、グラス程度の教室に飾るお花がもらえるんです!!
登米市の教室には、常にお花が飾って
例えば、「ケンミンSHOW」とかで
登米市ってどんな街ですかぁって聞かれたとして
登米市って、お花が日常に溢れている街ですよねぇって
市民がみんな答えるんです!
そんな未来をイメージしながら、花屋さん、農協、生産者さん、教育委員会、市場の方々に熱く語っていたよなぁって
お花を配布する原資はどうするか
市の予算が取れるまでは、JAの組合員の生産者の方々や、花屋さんが
ちょっと傷んでいても、使い切れないくらい、出荷出来ないくらいの短いお花とかでも、どれくらいの物量が提供出来るか
先ずは、試験的に登米市内の2校、6教室くらいからやってみようって
そんな話しまで詰めていたのが、2010年の11月くらいでした
お花屋さんたちには
これひとつでは、儲からないかもしれない
それでも、将来のお花業界の需要に向けて、花屋さんに足を運ぶ意味づけを、動機付けを今から始めないと、未来の需要は掘り起こせない!!
地元の学生達が、最初は義務的でも、お花屋さんに教室のお花をもらいに行く度に、地元の産業には花き産業もあって、農家さんがどんな想いで、どんなお花をどんな時期に生産しているかとか
お花屋さんは、お花屋さんで、地元で生産されるお花以外の市場流通しているお花だったり、四季がある日本に生まれたお花、日本の文化だったりを、お花を取りに来てくれた時に、ちょっとずつ、ちょっとずつ伝えて行くんです。
衣食住からは外れて、嗜好品って分類されますが、お花も生活に欠かせないなぁって、文化を再構築していくんです。
今ある生活は、今現在のスタイルでしかない!!
5年後、10年後はどんな未来になっているのか
誰が答えをしっているわけでもないから
業界全体で構築していくんです。
生産者さん達にも伝えました。
全国のお花の生産が、将来衰退して行ったとしても、登米市の将来だけ見たら、もっと輝く産業には出来るんじゃないか
登米市では、社会化見学で花き農家の産業に触れる機会が多くて
将来の仕事に、お花の産業を選ぶ若者を増やしていけたりするんじゃないかって
今、携わっている自分達が、そんな未来を諦めず、自分達の仕事の日常を、楽しく、ワクワクする業務に変化させて行けたら
他の地域は分からない
日本の花き産業が、どうなるかなんて分からない
将来
ブライダルも、葬儀でも、お供えのお花でも
慣習に頼る売上が減って行っても
登米市の花き産業だけは、伸ばして行けるかもしれない
それは、地域の花屋さんが一緒になって
地域の生産者さんが一緒になって
行政も一緒になって
登米市全体で、お花のある日常を、全国どこよりも取り組んで行ったならば、登米市の花き産業の将来だけでも、何か希望が持てないか
お花屋さんは「○○屋さん」がドンドン少なくなって行っても
『地域で一番身近なテーマパーク』として存続して行く
僕が掲げた
お花屋さんのカテゴリーです
何か楽しいワクワクが詰まったお店
衣食住には当てはまらない嗜好品
それは変わらないかもしれない
昔
携帯電話は必需品では無かった時代が、今は想像も出来ない
他の生活費削ってでも、携帯電話は保持するわけで
もしかして
登米市の市民は
将来
何はなくても、毎月3000円のお花代は必要だよねぇって
そういう未来は作れるかもしれない
せめて、この仕事をしている限りは、そういう将来を描いて
地域の子供たちに、『花育』として関わって行くのか
僕が考える『花育』のカタチ
今年は実際に、小学生、中学生向けのレッスン取り組んで行きます。
習い事で、一番習わせたい人気の講座が『お花の教室』
そういう将来だって有り得るわけで
その為に、どんな教室のカリキュラムを構築していくか
僕に何をどこまで描いて、築けるのかわからない
それでも、何か出来ることを一歩ずつ
1個ずつやってみます
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