その人の精神状態が部屋に現れていると私は思う。 かつて、 老人ホームに入った義父母の家を、 掃除しに行って驚いたことがあった。 夏の暑い日だった。 私達家族は、夫に半ば強制的に連れて行かれ、そこを大掃除しなくてはいけなくなった。 年に二度ほど、これまた強制的に連れて行かれる夫の実家だ。 夫の実家に良い思い出はない。 初めて入った二階の押し入れやタンスから出てきたのは大量の衣類だった。 しかも、その中に一際目立つ義父の白いシャツ(アンダーウェア) その数たるや、驚
決してハロウィン🎃の思い出ではない。 昨日、 ご飯係の息子がいつまでも台所に来ないので、 渋々退院後久しぶりに夕飯を作ろうと 台所に立った。 目眩😵💫が少ししたが、 来週から仕事に行かなくてはいけないので、 体慣らしをしなくてはいけないと、 立ってみた。 と、言っても何を作ろうか? 前日、息子と近くのスーパーで爆買して、 (支払いは私なので、息子がカートにポンポンと入れること‥) 食材は冷蔵庫にパンパンに入っていたが、 私が食べられない食材ばかり‥
入院22日目にしてようやく退院した。 これまで何度か入院を経験したが、 こんなに長かったのは初めて。 水が飲めない、 ご飯が食べられない地獄(?) を経験する。 16日間の絶食は、 修行僧になった気分だった。 食事再開前に、 栄養剤(クリミール)を飲んでみましょうと、 1日に2本だけ、 初日は ミルクティー味とコーンスープ味が付いてきた。 食事時間に合わせ飲んだ。 とろみのある小さなパックの中身は すぐ無くなった(泣) そして 待ちに待った 食
私は人の顔と名前が覚えられない。 人の顔と名前に興味が無くなったのか、 単純に覚える気がないだけなのかもしれない。 小学校1年生の時、 6組まであった学年の、 ひとりひとりを全部覚えてて、 私ってすごい(?) って思ってたあの頃は、何処かに行った。 高校生の時、 偶然同じ高校に合格した、小学校の同級生に声掛けて、 相手が覚えて無かったのには、ショックだった。 だがその頃から、 人生に失望していたと同じくらいに、 人にも興味が持てなくなった。 友人が
お腹がよじれるくらいの激痛から、 緊急入院して腸閉塞と言われ、 鼻からイレウス(腸閉塞)管を挿入、 治療していたが、改善されなかったので、 10日目手術をすることになった私。 そこからまた禁水、禁食の日々。 イレウス管の影響か、声が出なくなる。 水分補給が許され、 手術後5日目レントゲンの結果で、 食事が許されるかどうか‥。 結果は‥ 「まだ小腸に腫れがあるので、もう少し様子を見ましょう。」 とのこと。 何度もレントゲン撮ってるから、 素人目だけど
あまりの腹痛で職場から戻り、 その夜緊急入院した私。 腸閉塞と診断され、 その後恐怖の、イレウス管というチューブを鼻から入れ、 小腸内の胆汁などの体液を吸い出し、 腫れとガスが引くよう治療したが、 改善されないので、 10日目、手術することになった。😭 思い起こせば、約8年前に大病を患って以来、 この病院にお世話になって来た。 手術は4回目‥ 1回目の手術から、 病室から看護師さんに付き添われ、 歩いて手術室に向かった。 TVの医療ドラマとかでやっ
今までのでnoteを読んでくださった方には、 大体察しがつくと思いますが、 どこだと思います? トイレ? いやいや、誰かが入っていたなら、 絶対聞かれたくないですよね⁈ (家ならともかく‥家も嫌か?) かつて勤めてた会社のトイレで、 思わず出ちゃった時、 前に入ってた女が、出てきて手を洗いながら しばらくそこで待っていた。 個室から出た私の顔見て、 ニヤリ‥としながら、出て行ったことを思い出した。 お前はオナラしないのかよ〜💢 そいつは最低のモラハ
あまりのお腹の激痛に、 一旦出勤したもののすぐまた家に戻り、 何とか病院に入院することになった私。 腸閉塞と診断され、入院した。 ちょうへいそく 平仮名にしたら、他国の、誰かの名前みたい笑 そんな馬鹿言ってられない‥ 腸閉塞自体が漫然としかわからず、 名前の響きから、 そんなに重い疾患ではないと思っていた。 確か妹が赤ん坊の時なって、 母親がたいそう心配したと言うのを聞いた気がする。 それにこの歳でなった。 約3年前のお腹の手術の影響かもしれない。
それは突然やってきた。 4月1日の朝、いつもより少し出るのが遅くて、 その上いつもの長い橋が恐しく混んでて、 少々焦りながら、 やっと職場の駐車場に車を停めた。 大丈夫、後10分ある…(汗) そして、車外に一歩歩き出した途端に、 ズギィ〜ン と、かって経験した事があるような 無いような 痛みが突然襲って来た😭 ヨタヨタと遅刻してはいけぬと、職場に入り、 急いでパソコンで、出勤処理。 これがやたら面倒くさい作業で‥ なんて思っているような心の余裕が、
一昨日から去年にかけ、狂ったように働かされ、 とんでもない人事でブチ切れて会社を辞めて、 9ヶ月。 ほとんど冬眠していた。 SNSなんて見たく無かった。 やる気が起きなかった。 春から夏、秋、冬を過ごし、 冬の最中の1月からようやく覚醒しだした。 それって、冬眠とは言わないんじゃ…じゃあ何眠? いくら暑くても、心は冬眠状態だった笑 月二回のハローワークにやっと通い、 何とか食い繋いでいたが、 それも後少しのある日、 あまりの呑気さで、もう少しで損をす
歳のせいか DNAに刻まれた何かがそうさせるのか 夜中の2時前後にパッと目が覚めることが多い。 若い時は、仕事に家事に育児に疲れ果てて、 泥のようにリビングで寝て、 気がつくと2時 と言う事が多かった。 そしてやおら指で寝た時間を数え、 1時間位活動して、 床に着くという生活を何年も続けた。 当然、寝起きは悪かった。😅 虫の知らせか これではいけないと、 何とか布団に辿り着けるようにと、 ベッドを買ってみたが、 相変わらず辿り着けず、 代わりに
コロナウイルス蔓延で、県外に住む大好きな孫とも会えなくなるが、ゲームによって繋がりを持つことができた。 「ばぁばの島🏝️に行きたい。」 と言う可愛い孫と、「あつまれどうぶつの森」で交流する私。 孫との交流は「あつ森」だけではなかった。 スーパーマリオパーティ🎈でのゲーム対戦。 川下りや、スゴロク、ミニゲームに興じる。 交流を通じて、孫の今まで分からなかった隠れた性格が分かったりする。 夫譲りの気の強さを持ってる娘に育てられているせいか、 穏やかで無口な娘の夫に似
58歳にして突如始めたゲームによって、その後の逆境にも耐えられた私。 まさかのがん告知、「ピクミン3」で癒されていたのに、手術前にピクミンの大量死は辛過ぎて、ラスボスを前にクリア出来ずに2年余りが過ぎてしまう(泣) それの前後に始めたのが、大人気の「あつまれどうぶつの森」。 何も無い島から木を切ったり、化石を掘ったり、虫を捕ったり、鉱物を集めたり、魚を獲ったりしながら、それらを売って家を大きくして、自分の島を開発していく何とも牧歌的なゲーム。 島に他の動物も呼んで住ん
私が子供の頃、インベーダーゲームが流行っていたけど、 多分そんなゲームをしたら「不良になる」と母親に言われるのがわかっていたので、やったこともなかった。 大人になり、子供達がゲームにハマっていた時は、 バイオハザードを夜中に恐怖と闘いながらやったり、マリオや星のカービーやサルゲッチュとかやってみたが、とにかくコントローラがうまく操作できないので、向いてないと思っていた。 まあ自分の時間なんかあまりなかったので、 それに時間が割けなかったってこともある。 それが 2年半
うちの生存競争は激しい。 その理由は夫の大食らいだ。 最近では長男も。 ヤツらのせいで、うちのエンゲル係数は高くなっている。 なになに‥エンゲル係数が高いのは生活水準が低いってことか。 そうかぁ、ヤツらのせいで、お金が貯まらないんだなぁ‥確かに。 先日も冷蔵庫開けたら、残ってると思っていた納豆がすっかり消えていた。 そんなに納豆が好きなのか? 夫は世間では高齢者の部類に足を突っ込んでいるのに、まだまだ成長期か?ってくらい食べる。 夕飯の時は晩酌しながら、私の倍くらいも食べ
某国営放送の「阿佐ヶ谷アパートメント」という番組で「木村美穂」さんを取り上げていた。 阿佐ヶ谷姉妹の「妹」木村美穂さんは、名前が平凡で嫌だと言っていた。 でも全国の木村美穂さんが出てきたりして、最終的に何だかハッピーに終った気がしたのである(笑) 皆さんは自分の名前好きですか? 子供の時、私は自分の名前が大嫌いだった。 画数が多くて、テストの時に名前を書くのが嫌だった。 愛称で呼びにくい下の名前が特に嫌だった。 その理由は、大人になって気づいた。 子供の時、母親から怒ら