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星と祭 その捌

2020年6月3日記

主人公 架山洪太郎が訪れた十一面観音の記録

9.善隆寺和倉堂 十一面観音立像
目指す善隆寺という寺は山際にあって、付近には藁屋根の農家が点々としている。寺の境内は幼稚園にでもなっているのか、すべり台やブランコが設けられてあり、十一面観音像はそれに収められているのかも知れない。
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「農繁期の託児所です。その時は賑やかですが、いまは静かです」
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「そりゃ、あそこに居なされば、火の心配も、水の心配もありません。でも、息苦しいでしょうね。拝みたいという人が来たら、寺でもせいぜい拝んで貰うようにしておりますが、そうでもしてやりませんと、観音さんも堪りませんが」
そんな会話を交わしている時、住職がやって来て、収蔵庫の扉を開いてくれた。
身長一メートルの小振りの観音像である。頂上仏は大きい。住職の説明によると、平安時代の檜材一木造り、頭部に戴いている仏面の一つは欠けており、重文の指定は大正十五年であるという。決してすらりとした観音さまではない。ずんぐりいていて、がっちりした体付きである。横手に回ると、これこそ日本で、しかもこの地方で作られた観音さまだという気がする。顔も健やかで福々しい。
「腰は殆んど捻っていませんね」
架山が言うと、
「腰を捻るなんてことは嫌なんでしょうな。この観音さんは」
佐和山が言った。そう言われてみれば、そうかも知れないと思う。飾り気というものの全くない質実な美しい女体を、この観音さまは持っておられる。
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「ここから二〇〇メートルほど北の山際に神社がありますが、その神社の隣に観音堂がありまして、長くそこにはいっておりました」
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「この観音さまをお守りする講ができていて、それが管理したり、お祀りしたりしているんですが、その講をつくっていますのが、なにぶん今は五軒だけでして。-その五軒が交代でお守りしています。講の名前は和蔵講と言いますが、昔、隣の庄村の和蔵というところにお堂があって、そこに観音さんははいっておりました。そんなところから和蔵講と呼んでいます。大正十五年の重文指定の書付には゛和蔵堂所蔵”と記してあります。和蔵堂にはいっている頃は、この善隆寺も庄村にありましたが、江戸末期になって、天台から真宗に宗替えしまして、こちらに移って来ました。その時観音さまだけはそのまま和蔵堂に置いて来たらしいんですが、何か夢のお告げがあって、こちらに移すことになったと聞いています。」

<写真 パンフレット引用>

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