ツイッターの炎上を見るのが好きなんよね
『十二人の怒れる男』という映画がある。
1954年製なのでもう65年前の映画ということになる。モノクロで映像もメチャ粗いんだけど、これがおもしろい。(というか、Amazonレビュー☆5なの知らなかった。すごい)
アメリカの陪審員制度によって集められた一般人12人が、裁判に立ち会ったのち、有罪か無罪かを別室で話し合う。シーンは終始それだけ。
全会一致で意見をまとめないといけない中、11人が有罪と判断しているにも関わらず、1人だけが無罪を主張する。
12人の陪審員たちには、それぞれに気質があり、都合があり、価値観がある。「有罪」を選んだ理由もさまざまだ。
先の展開はほぼ読めると思うので、多分ネタバレにはならんだろう、という前提で話すと、この映画は「有罪」に票を投じた11人が「無罪」に意見を変えるまでのプロセスを描いたものである。
ぼくがなぜこの映画を推すのかといえば、「人はどうなれば意見を変えるのか」を学ぶことができるからだ。
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ぼくは、曲がりなりにも広告(宣伝活動)を扱う人間なので、それについて語らせていただきたい。
広告の役割ってなんだろうか? 商品を買ってもらうことだったり、企業に魅力を感じてもらうことだったり、あとは社会問題について足を止めて考えてもらうことだったり。まあ様々なのだけれど、ぼくは、ひとことに集約するなら「人の意見を変えること」だと思っている。
「買う必要がない」と思っている商品を「もしかすると買った方がいいかも」と思ってもらったり、
「どうでもいい」とか、もしくは「嫌い」と思っている企業を「ちょっと好きかも」と思ってもらったり、
「興味がない」と思っている社会問題を「たしかに考えたほうがいいな」と思ってもらったり。
ところが、これが簡単じゃない。人はそう簡単に意見を変えない。「もしかするとごく一部の人が意見を変えてくれるかもしれない広告」を作ることはたやすいけれど、せっかく時間とお金をかけて広告を流す以上、多くの人を変えていきたい。
そのために、あらゆる選択肢からベストな方法を選び抜くのが、われわれ広告屋のお仕事だったりする。
そういう意味で、「人はどうなれば意見を変えるのか」を学ぶということは、広告のあり方に新しい風を吹かせる可能性を秘めている。
だから、ぼくはあの映画が好きなんだ。
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前置きが長くなったけれど、やっと本題です。ツイッターの炎上について。
ぼくは、ツイッターの炎上を見るのが好きだ。
「炎上が好き」と聞くと、「可哀想だと思わないのか」とか「他人の揚げ足取りが好きなのか」とか「もっと自分の人生を生きろ」とか、まあ色々な意見がおありだろう。
けれど、炎上はやっぱりおもしろい。
なぜおもしろいかと言えば、そう。「人はどうなれば意見を変えるのか」を学ぶことができるからだ。
炎上とは対立だ。異なる意見のぶつかり合いだ。
ぶつかり合い、と言っても真っ向からぶつかるわけではなくて、弾道が完全に逸れているような意見もあるのだけれど、よく探せば、鈍く光るものや、鮮やかに光るものが見つかる。
炎上を見るときは、自分の実感を意識的に観察している。「明らかにこっちが正しいだろ」と思っているときに、「もしかすると、こっちも正しいのかもしれない」という意見に出会ったときはワクワクものだ。
それは鮮烈な事実だったり、巧みな発想の転換だったり、人柄を感じる文体だったりするのだけれど、それらに対する自分の心の動きを知ることは、自分が人の意見を変えようとするとき、きっと活きてくるはずだ。
だから、穏健派のみなさん、ごめん。ぼくは炎上が大好きだ。
アドライター(@ad__writer)