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『天元突破グレンラガン』とライフサイクル 壮年期編

これまで2回、青年期、成人期の心理社会的危機と発達課題についてエリクソンのライフサイクル論を使って、それぞれの時期のテーマがアニメの中でどのように表現されているかを読み解いてきました。

精神的にも戦況的にもピンチから一気に突破していく気持ち良さが魅力的なアニメなのですが、扱っているテーマが大人の心理的な成長だと読み取れるんですね。気になった方は前の記事も読んで下さい。私が喜びます。

今回は壮年期の発達課題である世代性(Genrativity) について語っていきたいと思います。

壮年期: およそ40歳〜60歳頃まで 世代性 対 停滞
(上の小見出しに年齢の目安を書いていますが、危機が訪れた時から始まりますので、実際にはもっと早くなったり、遅くなったりもします。)

さて、壮年期と区分されるこの段階のテーマは「次世代を正しく生み育てる」事とされています。家族をベースに考えると、子供が大人になるまでの非常に長い間、それぞれの時期で激しい自己主張をする生き物とやりとりをしなければなりません。それぐらいの期間で扱われる、大変苦労を強いられるだと問題と思って頂ければ良いかと思います。

その際、自分の都合を後回しにして、子供の世話をしなければなりません。また、子供をしつけて社会性を身に付けさせなければなりません。場合によっては知識や技能を身に付けさせたりもします。最後にはひとり立ちできるだろうかと心配しながらも見送ったりもします。

内面で起きるエネルギーの変化としては、成人期で配偶者(パートナー)に注いできた愛情のエネルギーを、壮年期では『生まれてきた子供に愛情を注ぐ』ような精神面や行動の変化を期待した考え方になります。

重要なのは「生み出す」だけではなく、育てること、責任を負うこと、そのために自己犠牲を払うことなど多くのことを要求されます。

家族をベースに説明しましたが、世代性の問題は必ずしも子供との接触を必要としません。『自分が生み出し、世界に残していくもの』であればほぼ全てのものが対象であると言っても過言ではありません。

例えば、仕事で何か製品を作ったとします。この製品も世代性のエネルギーを注ぐ対象となり得ます。そして、その製品を作った責任を積極的に持つこと(アフターケア、アフターサービスなど)が求められます。

とはいえ、世代性の問題が課題になってくるのは、新入社員のような人ではなく、中堅やベテラン以上の人であることが多いのです。それは、人生の後半に差し掛かり、「自分は何をこの世界に残せただろうか」という自分の人生や存在価値に疑問を抱きやすくなることが一つと、また、後輩や部下を持つようになり、彼らの能力や成績などに責任が生じる立場になる人が多くなるからです。ある程度責任を負う立場の人たちは、世代性の問題に関わっていると考えられます。

また、次世代の世話や責任を負うだけではなく、自分自信を育てる創造的な作業も必要になってきます。新たな立場になった自分を作り直す作業を繰り返し行うのです。それはアイデンティティを問い直し続ける作業でもあります。

アイデンティティの問い直しとは、別の言い方をすると、自己の再定義です。この再定義がうまくいくと、非常に活力が生まれてきます。自分は何者で、何をするべきなのか。この問いに具体的な答えを与え続けていきます。「自分は何のために何をするのか。」これがハッキリしてくると余計なものを省くことができるからです。迷いにくくなります。定義したことに集中しやすくなります。エネルギーが分散せず、集中して注ぎやすくなります。

反対に、世代性の問題が達成できなとどうなるのでしょうか。エリクソンは『停滞』であるとしています。次世代や、自分自身の創造性に対して責任感を持って世話をしていないと、自分の世界が狭まってしまいます。そうしていると他者や世界への関心が薄れてしまいます。自分のことのみに関心が向かってしまい、他者との関わりが表面的で画一的になってきます。

更に極端な表現をすると「私とあなたは関係ない。だから私はあなたのためには自分を変えない。」という事になるのですが、いわゆる『現状維持』です。しかし、自分をとりまく社会そのものが変わり続けてしまうので、同じであり続ける事を望んでも、そうはいきません。それどころか、相対的には衰退しているかもしれません。

自分のことに関心が向きすぎてしまうと、相手の気持ちが分かりにくくなってしまいます。そうなると、一方通行の関係になってしまいます。そのつもりが無くても相互交流を断たれてた状態になってしまいます。

すると、「相手は自分の事をわかってくれない」とお互いに思うようになり、溝が深まります。そうなってくると、「こうした方が良いのにな」という善意から来る想いも、他者をコントロールしたり利用しようという行動になってしまいがちです。これは、いかに正しくても理由がどうであれ害になる場合が多いのです。

エリクソンはこの概念を発表することで、「心理社会的危機を乗り越えて、人格的な成長をしないと、害になる人になってしまう」と社会に警鐘を鳴らす意図があったのかもしれません。


時間が止まった存在:アンチスパイラル

さて、アニメに話を移していきます。 
このアニメの中でこのテーマに直面していたのは誰かという問題から始めます。それは、ロージェノムとアンチスパイラルという存在です。

どちらも、構造的には絶対的な力を持って種族の頂点にいるのですが、強力な監視、管理を強いるのです。管理というのは、その人のコントロールをその人に任せないという事で、ある意味で相手の自律を信用していないのです。

彼らに共通するのは、高い理想や理念を持って、孤独な宿命を背負っている事です。

アンチスパイラルは、かつてロージェノムが戦って勝てなかった相手です。
もともとハチャメチャな戦闘シーンばかりですが、銀河をつかんで投げるという投擲攻撃や、銀河が消滅するエネルギーを使ってビーム攻撃をしてくるなど、圧倒的なスケールの大きさで、宇宙を自在にあやつる何でもありな感じのラスボスです。自ら宇宙を生み出すことができ、大グレン団を多次元宇宙空間に陥れ、戦意を奪おうとします。

そんな「アンチスパイラル」の目的はスパイラルネメシスを食い止めるというものでした。それは、螺旋力(進化のエネルギー)が増幅することによって、自己がエネルギーの大きさに耐え切れず、ブラックホールを生み出し、ひいてはそれが宇宙崩壊を招くというものでした。

その危機にいち早く気付いたアンチスパイラルは、螺旋力が大きくなった螺旋族を統制し、増えすぎた螺旋族を殲滅してきました。ちなみに、ロージェノムはアンチスパイラルに屈服し、生き残ることを選択し、人類を地下に押し込めることにしたのです。

そんなアンチスパイラルも、もともとは人間と同じ螺旋族だったのです。スパイラルネメシスの危機にいち早く気付き、自分自身の進化を止めました。自らと同族達をコールドスリープさせ、肉体的成長を止め、意識集合体となっています。そして、宇宙の崩壊を食い止めるため、他の星の螺旋族を統制するようになります。

彼らは自分たちの個人としての時間や成長、コミュニティの発展を犠牲にしてとても永い時間の間、全宇宙を崩壊から守り続けてきていたのです。
彼らの行動理由は世界のためであるため、非常に共感的に理解しやすく、自己犠牲的で立派であります。そして、自分で新しい宇宙まで作れてしまう神のような能力を、もった存在です。万能かっていう。つまり、超絶有能でとても人格者でもあるような人なのです。

しかし、物語の中では、成長が止まってしまうことは悪として描かれることが多いのです。また、自分自身の成長だけでなく、他者の成長の可能性を奪っています。どれだけ強大な力をもっていたとしても、他者の成長の可能性を止めてしまうことは害悪なのです。

圧倒的に強く、これ以上ないくらい有能なアンチスパイラルですが、螺旋族のもつ潜在的なエネルギーを恐れていました。半面、螺旋族を無知で信用のできない弱いものとして扱っています。

何故なら、多くの螺旋族は螺旋エネルギーの暴発の恐ろしさを知らないからです。アンチスパイラルはそれを恐れるあまり、その力が発現しないように管理しようと考えたわけです。
その目的や考える方向は決して悪くはないと思います。彼らに落ち度があるとすれば、他の螺旋族を信用しなかったことではないかと思います。

しかし、そこまでするような人達ですし、相当な年月を生きてきたようなのでバカでは無いと思います。
実際には対話をして説得したり、指導しようとしたのかもしれません。しかし、上手くいかなかったり、反旗を翻されたり、裏切られたりして、信じることに絶望してしまったのかもしれません。これは僕の推論です。

シモン達との関わりで起きていたこと

アンチスパイラルはシモンたちとの闘いの中で「アンチスパイラルには敵わない」彼らは正しいんだ、と諦めさせようとしました。圧倒的な物理攻撃をしたり、多次元宇宙で甘い夢を見せるなど様々な手段で戦意を奪おうとしました。

私にはこの戦いを通してアンチスパイラルがこれまで辿ってきた挫折体験の無念さや、その結果、絶望に至った道をシモンたちに追体験させて、伝えていたように見えました。
「人間は世界を壊しかねない。だから説得してきた。理解してくれたと思ったら、抵抗してきた。世界を守ろうとしているのに。俺の孤独や絶望がお前たちにわかるのか。」
という感じに。作中のシーンからセリフを抜粋したいと思います。

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シ:『俺達は一分前の俺たちよりも進化する。一回転すればほんの少しだけ前に進む...それがドリルなんだよ!』

ア:『それこそが滅びへの道!螺旋族の限界!何故気付かん!』

シ:『それはキサマの限界だ!この閉ざされた宇宙で王様気分てま他の生命を封じ込めた、お前自身の限界に過ぎない!』

そして互いの必殺技がぶつかり合います。

シモン達のマシンは耐え切れず、外側から崩れていきますが、崩れる度に、その中のマシンがマトリョーシカのように出てきて攻撃を継いで進んでいきます。勝っているはずのアンチスパイラルが追い詰められていきます。

ア:『バカな我々の力で砕けないものは無いはずだ』

シ:『覚えておけ。このドリルは宇宙に風穴をあける。その穴は後から続く者の道となり、倒れていった者の願い、後へと続く者の希望、二つの思いを二重螺旋に織り込んで明日へと続く道を掘る。それが天元突破、それがグレンラガン、俺のドリルは天を突くドリルだぁ!』

何度も絶望的な状況に陥っても、ちょっとでも前に進めると何度でもシモン達は立ち向かっていきます。一番熱いシーンではないでしょうか。(ただ、説明口調になってしまったのが少し残念ではありますが、ここで重要なのはそういうことです。)

そして、アンチスパイラルのコアに到達する事ができ、お互い死力を尽くして殴り合い、出し尽くしました。そして最後の拳、ドリルがアンチスパイラルに届きました。
シモン達が絶望から立ち上がり、自分たちの可能性を信じる想いごアンチスパイラルを超えたのです。アンチスパイラルは最後の一瞬に希望を見ることが出来たのではないでしょうか。

『ならば、世界を守れよ』

アンチスパイラルは自分の限界を超えた存在を見つけることが出来て、後世に世界を託そうという希望を持つことができたのではないでしょうか。だからこそ去っていことが出来たというのが、最終決戦の結末だったのではないでしょうか。

このストーリーを一般的に置き換えると、次のような感じでしょうか。

例えば、自転車の練習風景を思い浮かべて下さい。完璧主義で過干渉な親が、「俺のうい事を聞いていれば失敗しない!だからいう事を聞け」と、子供を信じきれず、口や手を挟んでしまい、子供は主体性を発揮出来ないでいる、みたいな状況です。
しかし、子供は自分でやる!と失敗を恐れず何度も失敗し、転んでは立ち上がる。そんな姿を見ているうちに子供の力を信じて見守るようになった。
とかですかね。かなり一般的な話になりました。でも、それぐらい普通の心理ではあると思います。

グレンラガンでも描かれていたように、世代性の問題はどれだけ優秀であるかではなくて、どれだけ次世代を信じて伸ばせるか、託せるかという事にかかっていると思います。

重要なのは、双方向の交流でもあるので、下の世代があまりにもいい加減では発展の可能性がありません。

若者の側からすれば、シモン達のように真っ直ぐに純粋で立ち向かっていけば、たとえ間違っていたとしても、上の世代が答えて導いてくれるかもしれません。

そんな風に世話をするっていうのは、お互いに相手の自律性を認めることが大切です。相手を認めて初めて相互交流が生まれます。そして、お互いが成長できるようになるのです。

そんな人間の真理が詰まった、面白いアニメです。

良かったら『天元突破グレンラガン』見てみてください!それでは!



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