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心の支援はどこへ向かうのか

心はどこへ向かうのか

恋愛の平成史は考えを言語化することに失敗している感じが強いのでまた、再チャレンジしたいと思っているのですが、自分なりに現代史を振り返ることで今を理解することが出来た気がしています。その上で、現在のカウンセリングや心理療法というものがどういった位置にあるのか少し見えてきた気がします。

まず、戦後日本の民主主義というか資本主義の在り方というのが、そもそも戦後からという流れが大きいと考えます。時代の心の移り変わりを考えていくと、まず第二次世界大戦が終わったあとからを考えます。戦中、戦後を経験した人たちは苦しかった生活や命の危険に怯えていたわけですから、安全への欲求と豊かさへの欲求が高まっていたことは言うまでもありません。人々の生活が立ち直っていく中で、数年後には学生運動が激しくなりました。学生運動は根が深く、活動内容も広い問題なので簡単に語ることは難しいのですが、大きな流れをざっくり言うと支配者層との不平等さを解消するために、日本を共産主義、社会主義化しようとしたという事でしょう。その中で過激派と呼ばれる労働者階層の人たちが支配者層に対して起こした革命運動とも言えるわけです。しかし、それが失敗に終わって、若者たちは革命や政治によって世界に変化を起こすことに失敗し、失望したのです。

そのあとは、しらけ世代と言われる人たちが出てきましたが、あの世代の人たちは、前の世代の人たちが革命に失敗したことを見てきていますから、こう考えたと思われます。「世界を変えられないなら自分たちの中身を変えよう」と。そういう動きが出てきました。これは日本だけではなく、アメリカでも同様の事が起こっていたようで、ヒッピーカルチャーが広がり、日本でも竹の子族や太陽族など、政治とは違う自分たちの内面の豊かさを育むことで、世の中に抵抗した、そういう流れの世代なのかなと思われます。

しかし、その流れにも陰りが見えてきます。90年代に入ってくると、自分の内面を変えていくだけでは限界を感じるようになっていたのだと思われます。バブル崩壊とともに、社会に見捨てられたら結局のところどうにもならないんじゃないかっていうのがそこから先の世代の気分だったような気がします。
中身だけ変えるってことは、結局世の中が自分たちを助けてくれるようには変わっていないので、豊かさや貧しさは変わりません。だから、良い軌道から外れてしまった時に、幸せ感を維持し続けることが出来るかどうかというと、難しかったわけです。経済的な問題から、豊かさを維持できないところがあるから苦しい。勝ち組負け組なんて言葉がありましたが、本当の格差は徐々に生まれ始めた貧富の差だったのだと思います。

その次の世代は、インターネットと情報社会になっている事でしょう。インターネットがどんどん発達して、個人のインフラと言ってもいいものに仕上がっていきました。経済的な勝ち負けから、評価を集められるかの勝ち負けに移行していると感じられます。

諸刃の剣にもなり得ると思っていますが、これ(インターネット)を使って新しい世の中にしていくべきという支援の方法を、本気で考えて主流にしてもいいんじゃないかなって思います。

少なくとも既存の社会構造に当てはめていくっていうのは、支援の仕方として時代に逆行していると思われます。パワハラが横行するような組織があり、人間関係のための人間関係によって仕事の評価が変わるような会社もあります。人付き合いが苦手でない人でも辛いのに、敏感すぎる人たちが既存のそういった会社に向かっていくのは難しいと思います。

そんなことを感じていると、これまでとは違った新しい社会支援、新しい環境調整を形にしていくことや、作っていくことが求められているのではないかなと思いました。

具体的には、当事者が自分の力を付けて社会構造の底辺から抜け出せるような支援です。底辺から抜け出したり、そこに居続けることもできるという事を変えていきたいと思いました。

10年間精神科に勤めていて、そういうクライエントさんと、寛解に向かった人の治療後の流れをとても多く見てきました。学生の頃に勉強していたような人ではなく、実際の精神科にかかる患者さんの層がすっかり変わってしまっているんですね。衝撃でした。学生の頃に自分が思い描いていた像はまったく使えず、何の助けにもならないような気さえしていました。そんな想いを抱えながらカウンセリングをしてきました。そらでも10年間色々なクライエントさんと並走し、治療的に関わりを続けてきました。
次第に自分でも出来ることと、仕事の範囲での限界、つまり出来ないことが見えるようになってきました。そして、クライエントさん達にとって必要となる支援の方向も見えてきました。

カウンセリングはその人の生き方の理解や、軌道修正や持続していく力を支えるために必要ではあるとあると思います。
でもそれだけじゃなくて、良くなってきたところで、社会に適応していくのがすごい大変なパターンが多いんですね。僕が特に気になるのが、色々な能力が高いのに仕事をリタイアしてしまった人で、再就職しようとしていたり、復職しようとしている人です。
すごく繊細な人だったりして色々な人の顔色を伺って疲れちゃったり。それに仕事にもなじめなかったり。すごい有能なのに、精神的な調子を崩してしまって仕事を持続することが難しかったりとかですね。

そして適応できずに退職を繰り返していると、貧困の問題につながってしまって、抜け出すことが難しくなってしまう。それが苦しくて、また精神的にも苦しくなってしまう。治せないのではないかと思ってしまうほどに。

僕はこの構造にアプローチしたいのです。
僕だけではその力が足りていないのです。

今イメージしているのは、作業所のような所で、仕事を与える事で経済的な自立を促せて精神的にも自立できるように環境を整えつつ、その上で、施設の外でもやっていける力をつけてもらえるような事をしたいと思っています。
何故なら、既存の施設のような雇用型の仕事では、所属組織の人間関係に縛られてしまい、自分で自分の人生をコントロールすることが難しいからです。人生を自由に生きるためには、どこでも仕事をしていけるようにするのがいいかなって。だから、仕事をしてお金を稼ぎながら、スキルアップ教育ができて、なんなら起業したり出来るくらいのことが学べるようなものですね。そういう仕事をコーディネートしていけるような、新しいタイプの支援を作ることが出来るんじゃないかって思っています。

結論と具多的な施策はこれから考えなければなりません。結論のぼやけた内容ですみませんでした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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