宮台真司先生と私

※宮台真司先生についての過去ツイートをまとめてみました。

高校生になった頃から、私は自分にオリジナルな考えがあることに懐疑的で、別の言い方をすれば人のあらゆる発言が誰かの引用だという思いがあり、自分の発言の引用元や発想元が自分に明らかなときには、その元の固有名詞を明示するように心掛けている。

しかし、世の中には誰かの名前を出した途端に、何かのアレルギー反応の如くコミュニケーションを途絶させる一風変わった精神の持ち主が多々いるようで、その人たちは、他の人たちを○○主義者だとか○○信奉者と対話に蓋をする。自分に理解できないものに、自分にとって汚いものに蓋をするというわけだ。

かつて、『ユリイカ』特集・文化系女子の鼎談で、文化系男子(?)は何かと言うと、ドゥルーズ、ドゥルーズと口にし「ドゥルーズ(笑)」だよね、というひどい話があった。

私の経験で言うと、宮台真司さんの名前を出して、ものすごくヒステリックな拒絶に遭ったことが何度もある。知性的だと思っていた相手が突然豹変して軽い恐怖を覚えたことがある。全肯定か全否定しかないなんて、思考停止だとしか思えない。

誤解のないように言っておくと、私は宮台さんに強い影響を受けているし、尊敬もしている。大学に入学して、初めての学祭のとき、宮台さんと島田雅彦さんの対談の企画に関わり、準備として『制服少女たちの選択』や『終わりなき日常を生きろ』の読書会を開き、対談後はテープ起こしもした。

あの対談のテープ起こしをして、何度も読み返したので頭に入っている。宮台さんに影響を受けすぎていると思って、離れそうになった時期もあったが、わりとコンスタントに宮台さんの本は読んでいて、今は良い距離を測れていると思う。それでも、「荒野」で「絶望から出発する」という前提は共有している。

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