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心にしまった私の青春

※今回の記事は、あくまで個人の意見・解釈となります。
また問い合わせにも一切お応え致しかねます。予めご了承ください。
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私が小学4年生の頃から高校3年生まで追いかけ続けた夢。
それはタカラジェンヌになることだった。

幼少期から歌うこと、踊ることが好きだった私は、声楽の先生に勧められて兵庫県の宝塚大劇場へ。
あまりの華やかさに圧倒され心を奪われた束の間の3時間。
「ここに絶対入りたい!」
男役に憧れたものの背が伸びず、ソプラノの音域の私は娘役を目指した。

宝塚歌劇団への入団には、まずタカラジェンヌの養成所的存在である、宝塚音楽学校への入学が必須となる。
毎年3月に試験があり、対象年齢は中学3年〜高校3年生までと限定されている。
40人程の合格者に対して1000人近くの受験生が集まり、その倍率は「東の東大、西の宝塚」と言われるほどの狭き門だ。

放課後は部活や塾、どこかへ遊びに行く同級生を横目に、週6日のお稽古づけの青春を送った。
バレエ・ジャズダンス・声楽・ピアノ。
学校のある湘南から東京都内のスタジオに通う日々。
学業と習い事の両立は、両親のサポートがあってこそ。
両親は100%賛成していたわけではないが、子どもの夢なら、と応援してくれた。
どんなに眠くても疲れても、歌や踊りが大好きだったから全く苦に感じず続けられた。
そして「何がなんでもあの舞台に立ってやる」という思いで。
発表会・オーディション・学校の学年合唱でさえ、貪欲なほどにチャンスを見つけて場数を踏んで自信をつけた。

両親から音楽学校の受験が1回だけ許可された。

高校3年に進学する直前の春。
「こんなに頑張ってきたから受からないわけない。」
根拠のない自信があった。
今振り返ると、当時の私はありがたいことに選ばれることが当然になっていて、天狗になっていた。
私には慢心があったのだと思う。

結果、私は不合格だった。

小学生の頃から追いかけた夢は一瞬にして消えた。
神様って残酷すぎない…?
頭を切り替えて、大学受験を考えるようにと言われたものの、しばらく現実を受け止められなかった。
全てを費やした8年間が否定された気持ちになった。
「そうか。自分の実力はそんなもんか。」
「頑張ったからと言って必ず報われるわけではない」と高校生ながら悟った。
ショック半分、投げやりな気持ち半分。
先生には勿体無いと引き止められ、芸大や他の劇団の受験を提案されても聞く耳を持たなかった。
高校卒業と同時に全ての習い事をやめ、大学は文学部に入学した。

辛くても疲れても楽しかった受験生時代。
今振り返っても自分が一番はつらつとしていたのはまさにあの頃だ。
「あの時に戻れたら」という懐かしい思いと「あの時合格していれば」というタラレバはずっと拭えず、社会人になっても音楽学校の受験に行く夢をみた。
たまに合格した夢を見ることも。
目が覚めると「そうだ、私落ちたんだったわ」と現実に引き戻される。
毎年3月の全国ニュースで音楽学校の合格発表の様子が取り上げられ、喜ぶ合格者を見て「頑張ってね!」と陰ながらエールを送った。

一転、今年の悲しいニュースに耳を疑った。
私からすれば、音楽学校に入学して入団しただけでも素晴らしいと感じる。
とても素敵な才能を持っていたからこそ選ばれた方だったんだろうなと。

「厳しい世界」だということは理解していた。
「清く、正しく、美しく」ある舞台人と「厳しい世界」によってあの憧れの夢の世界は成り立っていると信じていた。

ただ、一連の報道を見て「夢」が崩れてしまった。
引き起こされた事実。
内部事情は知る由もないけれど、歌劇団の対応や会見内容に疑問を感じた。

私が夢見た場所ってなんだったんだろう。
これから先、学生時代に頑張ったこととして口にしても良いものなのだろうか。

私が考えたのは…

  • 自分が過ごした受験生時代はそっと心の中にしまう。

  • 頑張ったこと、反省すべきこと、学べることはしっかり吸収しよう。

  • お稽古に励んだこと、夢を持ってチャンスに飛び込んだことは認めてあげよう。

過去は過去。
ここで後悔に区切りをつけよう。
未来を描けるのは今の私だけだ。

最後に、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り致します。

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