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続いた続いた

0時はまだまだ夜の延長ですよみなさん。
本日は前回の続きを書こうと思いますので
ぜひよろしければ前回のものも見ていただきたく思います。
RADWIMPSの魅力について語っています。

寝ぼけてる神秘性

さてさて
こないだは
今のRADはillionっぽくね?
に対して
実はそうではないってところまで行きました
こんかいはその続きです。
illionってご本人も言われている通り
"眠ってる時間"なんですよね
実際illionの楽曲は夢の中やふわふわとした中で歌われているものが多く
RADの抽象度を高くした
RADが割れたガラスならば
割れると溶けて元に戻ろうとする奇妙なガラスみたいなイメージですね。
今のRADの
確かに楽曲のイメージというか
印象はillionっぽくもあり
illionっぽいとおもうこと自体は理解できるのですが
RADWIMPSはちゃんと起きてるんです。
今の猫じゃらしとかですね
生きてる代謝の音というか世界がちゃんとそこにあって
タイトルで寝ぼけてるってのを今回収するんだなと思ったそこのあなた
甘いです。
猫じゃらしは寝ぼけてません。
なんの話ですか?
でもね寝ぼけてはないし
そこに意志は間違いなくありますが
猫じゃらしに限って言えば
それは午後3時の怠惰というか
ピロピロタイムの話であって
寝ぼけてるとは少し違うと思います
イメージは近いんですが。

人間性は欠陥で愛されて完成で死ねる

今のRADは少しずつヒビを修復して
その愛らしい修繕されたガラスの容器を眺めるように
今のRADを楽しみたいと思うのですが
最近、大団円という曲を出し
これがまたRADっぽい曲というか
昔のヒビを入れたような時の
待っていた曲調というのか
やっぱり私が好きなアルバムが◯と×とってやつなので
その時代の曲調が出てくると嬉しくなるのです。
ただ、何か違う。
ヒビはね入ってない
ただ、ヒビの匂いというか
血の雰囲気というのか
明らかに人間性がそこにはあって
ちゃんと惹かれるんだけど、昔のものとは違う。
私の考えるこの答えは
コラボレーションで作られた楽曲だったので
コラボしていたラッパーの人にも合いやすい曲調になってるだけです。
ラッパーって人間臭さが売りみたいなところがありますから
ちょうど今の綺麗になろうとしてるRADに合ってた
だけでは終わりません
めちゃくちゃいいんですよ大団円
曲調も歌詞もものすごくRADWIMPS
それでいて綺麗にあろうという意思があるというか
なんかね
欠陥を持って生まれたRADが
欠陥と向き合って必要な場所は修復して
隠せない傷を持って歌っていた曲が
少しずつきれな形になって
そして今度は自分を表現できる位置にいるというか
人間臭さをラッパーの人が背負ってくれてるというか
(ごめんラッパー私人の名前覚えられんのだ)
なんかこのさきにある完成をひと足さきに見た感じがあって
次はどこに行くんだろうっていうワクワクが出てきました。
まじでラッド最高。
この長い間積み重ねてきた人間味のRADは
完成して死んでしまってもいい派です私は。
それよりももっと今の血を存分に入れた
痛みのある歌をヨージローさんには描いていただきたいです。

来週は全然違った話がしたい

さてさてRADについて
ただ思いの丈を描いただけですが
勝手に自分で完成させちゃって
本人たちにその気がないパターンが1番面白いのでそれで行って欲しいです。
さて、明日の宣言をすると
気持ちがすごく楽なのでみたいな言い訳を並べつつ
明日は"神とは個体の続きである"という
ものすごく独自の理論を語っていきたいです
知らないですって?
まぁ暇つぶしにのぞいてください。

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