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【分人主義】自分が分かれていくことで奥深くなっていく

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【軟水のたそがれ】
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毎週日曜日の夜に更新していきます!

この【軟水のたそがれ】は、

僕がTwitterで毎日更新している「軟水のつぶやき」を、深掘りするエッセイ。

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています(*^^*)

・・・本日取り上げるツイートは、↓コチラ!

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自分のキャラクター(性格)って決して1つではないし、接する相手によって変わってくる。

関係の浅い人とは1つのキャラで接して、関係が深まっていくごとに色んなキャラを見せられるようになっていく。

それって、自分が分かれていくような感覚。

色んなキャラを持つ自分に対して、「ホントの自分」って何だろう?と思うこともある。

自分が知らなかったキャラを他人に見られてショックを受けたり。

相手がなかなか違うキャラを見せてくれなくて、悲しくなったり。

自分も相手も、その関係性によって分化していくもの。

分かれていったキャラはどれも「自分」だし、どれも「相手」そのもの。

だから、大丈夫。肯定しよう!

・・・っていう内容を、これからやりますー!

小説家の平野啓一郎さんが提唱する『分人主義』を参考にして、たそがれていきます(´ε` )

いってみましょー!!

■ざっくりと分人主義を説明してみる

『分人』とは、対人関係ごとの色んな自分のこと!

恋人、家族、職場、趣味の仲間etc...

それぞれと関わる中で、全部が全部を同じ自分でいられるわけじゃない。

そこには「本当の自分」っていう中心があるわけじゃなくて、それぞれの分人を全部合わせて、自分なんよね。

⇓平野啓一郎さんの著書『私とは何か』より引用。

個人を整数の1だとすると、分人は分数だ。
人によって対人関係の数はちがうので、分母は様々である。

そして、ここが重要なのだが、相手との関係によって分子も変わってくる。

関係の深い相手との分人は大きく、関係の浅い相手との分人は小さい。すべての分人を足すと1になる、と、ひとまずは考えてもらいたい。 

分人は、「私はこういう人間だから!」という風に決まるわけじゃない。

周りの環境だったり、他者とのコミュニケーションの中で形作られるもの。

他者と繋がることで見えてくる「自分らしさの1つ」が、分人。

恋人に見せる分人もあれば、苦手な職場の相手に見せる分人もある。

どちらかが「ウソの自分」というわけじゃなくて、色んな分人がかけ合わさって、自分の『個性』になっていく。

だから、他人の顔色を伺いながら「本当の自分」と「表面的な自分」とを使い分ける必要はない。

「本当の自分」なんて無くて、対人関係ごとに見せる色んな顔(分人)すべてが、自分なんだよー。

・・・これが、ざっくりと分人主義。

⇓分人主義については、イトーちゃんのブログが分かりやすいです!

■相手のためを想って色んなキャラが出るのは自然

自分探し、ありのまま、自分らしさ、俺たちのサッカー。。。

「私はこんな人間です!」ということが執拗に求められる現代社会。

・・・うん。

「自分にはこんな個性がある」ってことは、知っておいた方が何かと役に立つと思うよ。

自己紹介する時も分かりやすいし、相手にとって優しいよね♪

だけど、個性を1つに絞る必要はない。

関係性の浅い人の前では、1つのキャラで接した方がコミュニケーションがなめらか。

1度に色んなキャラを出しても、どう接していいのか分からず、相手を困らせるだけだよね。

「この相手にはこういうキャラで接した方がいいかな」っていう対応は、相手のためを想っているのなら、優しいと思う。

誰に対してもぶりっ子をしたり、カッコつけた態度を取っている八方美人より、よっぽど優しい。

八方美人は、自分が好かれたい一心。

八方美人は「この態度でいけば男(女)は喜ぶんだろ〜?」って態度がうっすら見えるから、不自然なんよね。

そんなことよりも、相手のためを想って自分を分化させて色んなキャラになっていく方が自然だし、ありのままの自分だと思うよ。

そして関係性を深めたいと思ったら、勇気を出して別の顔を見せてみる。

そこで受け入れてもらえれば、その人は大切な人になっていくのだろうね♪

んでも、受け入れてもらえなかった相手のことを攻める必要はない。

その時はまだ、相手が自分に分化しきれなかっただけ。

そういう相手の存在を肯定することが、関係性を深めることに繋がっていく。

自分のことを受け入れてもらうために、好かれようと無理をしなくていい。

相手にも、無理に自分を受け入れさせようとしなくていい。

それは、お互いにありのままじゃなくて不自然だからね^_^

「アナと雪の女王」を例にあげるね(*^^*)

エルサは魔法が使えることが世間にバレた時、独りになろうとした。
そんなエルサを、アナは追いかけた。

エルサは魔法を制御できなくてアナを傷つけたくなかったから、自分を肯定してくれるアナを拒絶してしまう。

でもアナは、「自分を受け入れてくれないエルサ」を肯定し続けた。

「魔法を使えるという分人」も「妹と仲の良い分人」も、エルサのありのままだから。

魔法で自分が傷つくかもしれないし、自分を受け入れてもらえなかったのに、アナはエルサを肯定し続けた。

これがきっと『真実の愛』なんよね。

■【さいごに】表と裏を大切に

「ホントの自分」ということにこだわっていると、どうしても『表と裏』を意識してしまう。

リアルで趣味を楽しんでいる時の自分が『表』で、SNS等のネットを楽しんでいる時の自分が『裏』とかね。

でも表と裏なんて表裏一体で、いつでもひっくり返る。

もしリアルで嫌な人と付き合わなくてはいけなくて、その愚痴をネットに書き込んだとしたら?

その時はリアルが『裏』で、ネットが『表』になるの??

それは「ホントの自分」にこだわるから起こってしまうこと。

・・・それよりも、どんな自分も全部自分だって考えると、楽になると思うんよね。

表と裏ではなく、『表と奥』にしたらいいと思う。

自分のことをどこまで奥深く語れるか、伝えられるかっていうのは、その相手をどれだけ信頼できるかによる。

何の情報もなしに信頼できるはずもなく、誰もが自分の『奥』を知っているわけではないし、その深さも異なる。

それに対して、「あの人の裏はこんなだったのか」と言ってくる人もいるよね(´・ω・`)

んでもそれはこっちの『表』を表面的に見ているだけで、『奥』を知ろうとする気もないはず。

そんなん、本の表紙と裏表紙だけを見て、勝手に評論しているようなもんじゃん(*_*)汗

・・・それは気にする必要がなくてさ。

表しか見せない相手がいたっていいし、どこまで奥を見せるのかは、自分が決めればいい。

自分の奥を心地よくさらけ出せたら、引き出してくれた相手に感謝すればいい。

そして自分の奥を知ろうとしてくれる相手を、大切にしたらいい。

表が気になる人が現れたら、裏側を探るんじゃなくて、奥を辿ろうとする姿勢を示せばいい。

アナと雪の女王でエルサの裏側にしか興味のなかった、ハンス王子とウェーゼルトン公爵は、痛い目にあってたよ?(^^)笑

キャラクターを1つに決めた方が、コミュニケーションが円滑に回ることもある

他のキャラも出し合えた方が、お互いに楽なこともある

相手のキャラを1つにくくって、思考停止したくはない

そして自分の色んなキャラを自覚して受け入れて、出したい時に出せる勇気も大切に

・・・今日のたそがれは、つい楽しくて長くなってしまいました(-_-;)

読んで頂きありがとうございます!!!

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⇓『分人主義』について参考にした書籍

⇓前回のたそがれ

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