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「RADWIMPS」から学ぶ『別れの美学』

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◯◯から学ぶ●●
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『◯◯から学ぶ●●』と題して、毎週水曜日の夜に更新しています!よろしくどうぞ(^^)

僕が、好きなマンガや映画、音楽などから学んだことを綴っていくような感じです!

本日はRADWIMPS

RADの歌詞から、人との出会いや別れを通して学べることを綴ります♪

さっそく深掘っていきましょう!

※最初に歌詞を書いて、続けて僕の解釈を書きますー!


■『有心論』


この曲は、彼女との出会いを通じて、自身の幸福感がアップデートされていく様子が描写されています。

彼女のおかげで自分を信じることができるから、幸せ!という感じですー!


⇓歌詞♪

今まで僕がついた嘘と 今まで僕が言ったホント

どっちが多いか怪しくなって 探すのやめた

歌い出しの一節。

・・・これは、自分を信じられなくなってしまっている状態だよね。

だけど彼女と出会うことで、変化が訪れる。

君があまりにも綺麗に泣くから 僕は思わず横で笑ったよ

すると君もつられて笑うから 僕は嬉しくて泣く 泣く

サビの一節。

彼女が笑っている様子は、自分の心に素直だからとても綺麗だった。

それにつられて笑ってしまった自分。

それを見て一緒に笑ってくれた彼女。

素直な感情を共有して、嬉しくなって泣いてしまった。

この瞬間は、自分に嘘をついていないから。

明日を呪う人間不信者は 明日を夢見る人間信者に

もう昨日を探してた僕はいない いない

自分に嘘をついていると他人を信じられないし、明日が暗くなっていく。

彼女は、自分の気持ちに正直になることの大切さを教えてくれた。

・・・しかしそんな彼女とも、別れが訪れる。。

明日を夢見た人間信者は 明日の死を待つ自殺志願者に

3分前の僕がまた顔を出す

大切な彼女を失って、また自分を信じることができなくなってしまった。。

明日に意味を見いだせない。

・・・死にたくなって息を止めてみると、何かに気がついた。

息を止めると心があったよ そこを開くと君がいたんだよ

左心房に君がいるなら問題はない ないよね

目の前に彼女はいないけれど、心に彼女の存在は確かにある。

その彼女の中には、自分に嘘をついていない自分がいる。

彼女を通して、自分を知ることができる。

自分を信じることができる。

以前は「彼女がいるから幸せ」だった。

でも今は「心の中の彼女を通じて自分を信じられるから幸せ」に変化した。

これは彼女が目の前にいようがいまいが、永久に続く幸せ感。

彼女のおかげで、そこに気づくことができた。

この心臓に君がいるんだよ 全身に向け脈を打つんだよ

今日も生きて 今日も生きて そして 今のままでいてと

白血球、赤血球、その他諸々の愛を僕に送る

左心房は、キレイな酸素を血液に送り出す場所。

彼女との出会いを通じて自分を愛することで、他の人や物事を自ら愛せるようになっていく。


■『ものもらい』


この曲は、自分が大切にすべき人のことを「瞳」に例えている。

いざものもらいになってみないと、その大切さに気がつけない。

大切な人がいたからこそ、僕らは自分らしくいられたんだよね。

・・・という曲ですー!

⇓歌詞♪

いつだってここにある この腕や耳や目を

僕は探したりなど したことはないけど

何かを探すのには いつも使うくせに

いつかなくなるなんて 考えもしないんだ

いつも側にいてくれる大切な人。

有事の際にしか相手を大切にしようとはしないし、まさか側からいなくなるなんて考えもしない。

ある朝目覚めれば 瞳がなくなってた

探すにも探せない 君がないと探せない

仕方なく手探りしようとするけども腕もない

音の頼りを聴こうとするが澄ます耳もない

ものもらいにでもなったかのように、大切な人(瞳)が側から消えてしまった。

そうなると、自分が自分でいられなくなってくる。

無意識だったけれど、今までは大切な人との繋がりを通して、自分のことを理解していたから。

たった1人がいなくなったことで、自分らしい行動(腕や耳の例え)ができなくなってくる。

「いつも ここにいたよ」って そう それはまるで泣きぼくろ

だから きっとこれからは毎朝 起きてさ 確かめるから

大切にすべき人の大切さにやっと気がついて、毎日その存在を探る日々の始まり。

だってさ わざわざ 広い世界の中から

僕の胸のここのところ 心の鼓動から

2センチかそこらのところを お気に入りの場所に選んでくれたから

だからこそ もはやそれは 僕の一部と

思い込む 脳に罪はないと思う

ほら また自分かばった 自分ばっかだ

大切にすべき人の存在は、自分の心にしか残っていない。

その人が僕のことを気に入ってくれているのなら、もはやそれは僕の一部。

そう思い込んでしまうのも無理はない。

大切さに気がつけなかったことも、しょうがない。

・・・また自分をかばってしまって、大切な人のことを想いきれていない。

いつだってここにある 弱音や、迷い、愚痴を

隠したってバレるならと、見せびらかすけど

いつからかこの僕を 覆い隠すほどに

本当の姿など 見る影もないほど

自分をかばうのを止めて、弱音や迷いなどの本音を吐いてみた。

今まで大切な人を通して見ていた自分の姿(自分では本当の姿と思っていたもの)は、見えなくなっていく。

この眼で この腕で 君のこと見つけたんだよ

そして君で 君の手で ねぇそうだよ 僕は僕の形が分かったよ

僕は僕とはじめて出会えたの

大切な人(瞳)を通して、自分らしさ(腕や耳)を見ることができなくなった。

だから自分の本音をさらけ出すことで、自分らしさ(腕や耳)を自分の眼で見れるようになった。

他人を通した自分ではなく、自分で自分を自覚することができた。

僕ら2つが1つになれればと 近づきすぎたあの距離の意味を

なんで今頃になってさ この記憶は語るのか

そうだ1つが2つになったんだ この世に落とされるその前に

一瞬前に だから 不時着後すぐ会えたの

僕らは、大切な人ができると近付こうとして、一体になった気持ちになってしまう。

だけどそうなると、近すぎて大切な人のことをよく見えなくなる。

その人がいたからこそ、自分が自分らしくいられたのに、僕らはそこに気がつけない。

元々僕らは1人1人独立していて、大切にしたいと思って、2つになることができた。

それをもう一度思い出して、自分が1人として独立すること、相手が1人として独立できるように大切にすること。

そうすると、2人で1つになるのではなく、1人1人が2つになることの大切さに気がつける。

自分も、相手も、大切にできる。


■【さいごに】相手を通して自分を知ることの大切さ


RAD的な幸福感を、僕なりの解釈でお届けしましたー!

僕らは、1人だと孤独。

だからこそ仲間や恋愛や仕事など、繋がりを求める。

そこで出会った相手が、大切な人になっていく。

その相手を通じて、自分のことを知ることができる。

だけど、その相手がいるから自分が幸せになるわけではない。

大切な人を、自ら大切にするという姿勢が、幸福感を生み出すんだと思う。

幸福って、ハッピー(幸せ)とラッキー(福)だから。

大切な人が側に居てくれるのは、ラッキー(福)なこと。

それは自分にはどうしようもできないことで、居てくれる相手に感謝するしかない。

そして、その人を自ら大切にすることでハッピー(幸せ)な瞬間が訪れる。

相手が喜ぶことをやって差し上げたら、大切な時間を共有して、幸せを感じるから。

相手が笑ってくれることが、自分の幸せになっていく。

自分のことを大切にしてもらえるのは、ラッキーなことだから感謝する。

そして、相手が大切にしていることを自分も大切にして差し上げることで、ハッピーな気持ちになる。

・・・そう思います(*^^*)


読んで頂きありがとうございました!!!

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