「尼僧酒場」をし続ける理由


先日、このような状況で「尼僧酒場」を開催するのはどうなのかという意見をいただきました。実は2月の開催でもこのような意見があり、開催をとても悩んでいたし、今もそれが適切な判断なのかということは悩んでいます。

開催するという判断をしたきっかけは「尼僧酒場」がどういう存在でありたいかという想いがあります。


私は「尼僧酒場」を日常の一部であってほしいと思っています。
イベントという非日常がきっかけだったとしても、そこにあり続けることでだんだん自分の日常になってくる。安心できる居場所になってくる。依存する場所ではなく、ひと休みできるような、ここがあるからやりたいことがやれるような
学校と家や仕事と家だけではないほっとできる自己表現の場であってほしい。

「尼僧酒場」はそんな存在になりたいと思っています。


「やめる」という判断をすることは私の中では簡単だったりします。
だけど「続ける」という、そこに「あり続ける」ということになにかかえせるヒントがあるような気がする。そう思っています。

怖いなと思われる方は無理に来てくださいとは思っていません。
その方にも大切にしたい人がいて、自分のことも大切にしたいと思われていると思います。


コロナが収束したらあそびに来てくださいねと思っています。

来てくださる方の大切なヒトや大切なモノも大切にできたら、そんなやわらかくてあたたかな場をこれからもつくっていけたらと思っています。

いろいろな意見があるので今回(3/26)は「尼僧ゲスト」さんはお呼びせず開催させていただきます。
いつも見守ってくださっている方、ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。

尼僧酒場マスター
唐溪 悦子


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