買い物が投票なら資本主義は貴族政治ということになる

買い物は投票って言いたいことは素敵なんですけど、参政権がそもそも与えられていない人が存在することになりますよね。
環境にやさしい、人権に配慮された、持続可能な、倫理的な商品を買い支えることは社会を変えることになる!っていう論理はわかるんですけど、そういう素敵な商品は得てしてコストがかかるわけであり、高額です。とても買い支えることなんてできない人がいっぱいいるわけ。私とか。

私もかつては「買い物は投票」って言葉に感銘を受けて「なるべくいいものを買おう」「いい商品は積極的に買おう」って思ってたんですけどすぐ金銭的体力がなくなりました。結局資本主義的なマーケティングの域を出ていない。それを消費者がやってるのはタチが悪いと思う。無意識的にやってるわけだし、表面的にはむしろいいことだし。

だいたいその論理って握手券のためにCD積もうとか売り上げに貢献して推しを有名にしようとかとなんも変わらない。
話が脇道に逸れるけど、最近アカデミックな人々が「推し」の大切さを世に広めるような本をよく出してる気がする。一切読んでないけど、そろそろ読んだほうがいい気がしている。誰かのファンであることは大切なことだと思うけど、誰かを「推す」ことは商業主義の奴隷になってその好きな対象をも単なる商品に貶めることでありあまりに宗教的で危うい考えだと思うんだけど。
経済の神に仕える巫女みたいなもんでしょ。推されてる人って。言い過ぎ?

私が一番言いたいのは、持続可能な社会(そもそもSDGsとかいうの自体私は話半分だけども、まあ大切なことも含まれてると思う。地球が滅びたら生きられないし搾取され続けてたら幸せになれないので。そもそも自分が搾取されているという自覚がないまま自分より貧しい人たちをもうちょっと引き上げようみたいな構図はけっこうやばくないですか?)
カッコないがでかくなりすぎたので仕切り直します。
持続可能な社会(うーん)を実現したいなら買い物は投票やら議員選挙やらといった多数決が全てを決める的投票にゆだねるべきではないということがいいたいです。
それは貴族主義的であり、金を持っている人が勝ちます。民主主義的でないということは、私は切り捨てられるということです。私は貴族ではないので。それには賛成できない。
でも皆さんは賛成されるんですか?諦めがすごい。そんなふうに達観できないなあ……

実際、「選挙で決まったんだから」みたいなこと言う人めっちゃ多くないですか?選挙で決まったら何でもやるのかなあ……それはマジですごいなあ……

『それでも選挙に行く理由』っていう本にも書いてあった気がするんですが(金ないから売りました。だから参照できません)、選挙に社会を「変える」力はない。その本曰く、選挙は内戦を防ぐための機能程度しかないっぽいです。誤読だったらすみません。そしてそこまで言わんでもいいかな?とは思います。でも社会を変えるために選挙、投票に賭ける、みたいなのは、思考停止な上、社会を変えないことが前提になっていて、あんまよくないと思います。

じゃあどうすんの?と言われたらわかりません……、私は「団結」「連帯」などとは無縁の場所にいるのですが、そういうものがヒントであることは想像がつきます。まあ、最近はデモも暴力的とか言われちゃうみたいですけど……。火をつけたりしてる人たちはデモで声上げても変わらなかったから焼き討ちとかしてんですよね。たぶん。

ぼっちでも、クダくらい巻いてもいいですよね?それがインターネットだと信じてる。

なんか今さらタイトルが自明のように感じられてきた。

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