(メモ)閑かさ≠低デシベル

メモです。

閑かさや岩にしみ入る蟬の声 芭蕉

この俳句は全員知っていると思うのですが、表記を確認しようとしてググったら、「〜という句をご存知ですか?」などと書いてあるサイトが出てきてびっくりしました。
「蝉が鳴いてるのに静かなんて不思議だね〜」とか思っても口に出しちゃうことに驚きを感じていたのが子供の頃です。
大人になったらわかりました。蝉が鳴いていることと静けさは両立することを知らない人もいます。それは私が、南の島では台風がすべてを吹き飛ばしていくことを、ほんとうには理解できないのと同じです。私が世の中には本当に危険な街があることを知らないのと同じです。

今日は初めて、「なぜ閑かさと蟬の声は両立するのか」を考えました。

私の中で、このような状況が発生するのは、蟬の声のほかに耳障りな音が聴こえないときです。風の音ひとつしない、蟬の声と、私自身の土を踏む音のほか聞こえないとき、閑かだと感じます。

逆に、うるさいときって、いろんな音が、無秩序に聞こえているときではないでしょうか。
ひとつひとつの音の大きさはあまり関係ないと思います。また、総合でどのくらいの大きさになるのかもあまり関係ないと思います。もちろん、耳の負担になるほど大きければ別ですが。

騒音って、一つの大きな音のことではないと思います。
脳にとって、処理が追いつかなくて負担である状態を作り出すのが騒音です。私はそう考えました。

だから、工事現場のデシベル表示などは、気休めにすぎないと思います。

真夜中に聞こえてくるサイレンや孤独なライダーの奏でる謎フカシ(ぶぉんぶぉん!でメロディーを奏でているバイク乗りがいて、笑わされて、慰められた、そんな高校時代の夜……)は耳障りではありません。

でも、「救急車が家のそばを通るとうるさいです。なんとかしてください」という陳情を見たこともあるので、全員がそうではないのはわかります。しかし子供の声がうるさいとかもそうなのですが、本当に問題なのは音そのものではないんではないでしょうか。
高齢で脳の処理能力が落ちているとか、そもそもほかの音が多すぎるとか、そういうところに原因がある気がします。

音楽は別です。
聴いてしまって、脳のチャンネルを使うからです。

電車内での通話が迷惑で、隣同士のおしゃべりが咎められないのは、会話の全貌が見えないとそれを推測したくなってしまって脳が疲れるからです。

そういうわけでもう少し静かな世の中になるといいなあ〜と思います。特にエスカレーターの虚無いアナウンス止めてほしいです。

おわり。

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