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人生と不条理のこと。

深い悲しみや絶望の中にいる時に励ますのも違うと思うのです。個性も人生観も優先順位も課題も、心の早さも全員異なるし、正解は無いから。もちろん、カウンセラーや宗教家や対人援助職のように、一般的にはこう、この事例ならこう、という判断基準はあると思います。あると思うけれど、確率と統計は大切だけど、「母数が1」であっても、だからこそその人にとって大きな意味を持つことってあるから、確率統計で数字として把握すると俯瞰しやすいけれど痛みは理解しにくくなると思います。

僕はプロテスタントのクリスチャンです。遠藤周作は『沈黙』で神の沈黙を指摘しました。「神がいるならなぜこの世に悪や悲しい出来事があるのか?」という、哲学の形而上学で扱う話題で、おそらく答えが出ない事柄に誠実に取り組んだ作品だと思います。哲学で答えが出せない(と思われるけど)、文学はこういう働きができるから凄い。

僕は、宗教のレイヤーを使わずに考えるなら、人の自由意志の問題と、一つの出来事はたいてい複合要因であり、物事は極めて複雑だ、という理解をしています。

宗教のレイヤーで語ると、神が人に自由意志を与えたのに(人は間違えることを認められています。ロボットのように、間違えない設計になっていない)、自分で悪いことを選んで行います。例えば優生思想を信じてテロリストになるとか。

私自身、「これが、神の愛し方なのか」と打ちのめされた日はあります。クレームは言いませんけど、「これ、私宛ですよね、誤配じゃないですよね」と思うことはあります。

宗教のレイヤーを使わないで話すと、「縁」や「運」や「運命」などが近いかもしれません。スピリチュアルや、あるいは「大いなる何か」を大切に思う方もいるでしょう。

哲学で答えがおそらく出ないけど、アリストテレスの時代から「心とは何か」の議論を深めて、脳科学など科学で分かったことを踏まえて議論していますよね。悪や理不尽に対しても、解像度や問う力は高まっています。

世の中になぜ理不尽なことがあり、悲しいことが起きるのか。人生に苦しみがあるのはなぜなのか、仏陀の時代から今日まで、様々な答えが出され、支持されたものが残りました。

全員に共通することは無いかもしれないけど、僕の経験では、どんなに悲しくて苦しいことも、私の人生にとって無駄なことは一つもありませんでした。父のことも、自分の心身を壊したことも、家族のことも、経験して格闘して乗り越えてきたから今の私があります。

私は歴史に名を残す人間ではありませんが、「あの日、私は自分のすべきことから逃げなかった」ことは自分が知っているから、私は自分の人生を気に入っています。

——希望を抱こうとすることが、負担になる日もありますよね。

Thank you for taking the time to read this.