noteのコミュニティは読解力や創造性や感受性が高い方が集まっているし、デリケートな話なので私個人に限定して述べます。
僕の場合、一番反響があったのはPC自作するアルパカの親子の作品だから、この傾向で作り続けた方がInstagramのアカウントは育つと思います。
英語と日本語の対訳で上記を作り、現在も基本的にDALL-Eのプロンプトを公開しています。私個人の成長、他者やコミュニティへの貢献を考えると、得意でウケるものを量産することは、DALL-Eの使い方として違うと思っています。
引用した涼雨さんの連載中の新作で上手いことと芸術は異なることが平易に述べられています。
上手いかどうかは自分の審美眼の範囲まで成長できるけど、熱量や魂や個性が伝わる芸術の方向を、表現者として目指したいというのが一つ目。
二つ目は、生成AIは具体的な作業の労働を引き受けてくれる道具です。世界のトップレベルのデザイナーではなくても、DALL-Eという「ピンクのカバは描かないで」が分からなくなる段階の技術でも、分かるように伝えれば描いてくれます。
ダンボールで工作した後片付けとか、絵の具のバケツの後始末も、美大に泊まり込むことも必要ありません。DALL-Eは自分の創造性がエンジンでボトルネックでもあるから、例えば花道の水盤は通じなかったとか、何がどれくらい出来て・出来ないかを把握することが重要だと考えています。
西洋アートの大半は作れますが、例えば抽象表現主義はかなり違うので、抽象アートを作りたいなら工夫が必要です。
パターンアートとしては失敗しましたが、シアサッカーの質感は少し出せました。
三つ目は、DALL-Eに分かるように伝えるには、視覚的なイメージを言語化する必要があります。宇宙船でもタイルアートの壁画でもポロシャツでも、言葉で伝えます。
これを無数に作るので、視覚的なイメージを言葉にする訓練になります。多分、文章を書く際に表現力が伸びると思っています。
そして、そもそもなぜ創作をするかというと、生み出したり勉強するのが楽しいからです。他人に認められることは光栄だし、自己満足では困るけど、内的なモチベーションが宝物だと思っています。宝くじに当たったとしても、私は何か作ったり学んだり、理解したことを共有すると思います。
仮に誰にも気付かれず自分しか鑑賞者がいなかったとしても、『蜜蜂と遠雷』のキャラクター達のような才能が無くても、彼らが彼らの音楽と格闘することをお手本にしたいのです。