[小説]かきならせ、空! 第九話
夏祭りが終わって町に日常が戻り、まだ夏休みが続く空楽たちは練習場に集合した。メンバーはステージ上に楽器を置き、休憩スペースの机のところに集まって座った。
「今日は、練習というよりは反省会のつもり。これからどうしていくか考えるためにも、今あたしたちが抱えてるのはどういう問題なのか、考えたほうが良いと思うんだよね」
瑠海が言うとほかのメンバーたちも頷いた。
「あのあと、見に来た人たちからなんか言われた?」
瑠海が訊く。
「うん。うちの親はもうめっちゃ喜んで褒めてたよ。うまいね、すごいねって」
「わたしも。もうあんなに弾けるようになったのか、他のメンバーもすごいうまい、とても良かったって」
「おれもさ、来てくれたおっちゃんたちから、一番うまかったぞ、良かったぞ、すげえすげえって言われた。父さんにも入ったばっかりなのに良くまとまってたなって言われたし」
三人の言葉を聞いて瑠海は頷いた。
「概ね、思った通りだね。あたしも父さんぐらいだけど、いいメンバーが見つかったねって言われた。ね、なんか良くなかったって意見もらった人いる?」
瑠海がみんなを見回し、お互いに顔を見合わせた。空楽はタイヴァスの灰谷に言われたことを思い出していたけれど、とてもここで話すことができなくて黙っていた。
「そうだよね。あたしたち、褒めてくれる人にしか見られてない。多分、あの場にいた多くのお客さんの中には、あたしらの演奏を別になんとも思わなかった人とか、なんか悪い部分を見つけた人とか、いたと思うんだよ。だけどそんなの、わざわざよく知らない人に言わないよね」
瑠海は仲間の同意を確認するように顔を見回して続けた。
「でも、じゃああたしたち完璧で、あの日の出演者の中で一番良かったと思ってる人、いる?」
「うちは」
琴那がテーブルの表面を見ながら口を開いた。
「うちらがあの日一番弱かったと思う。演奏は悪くなかったと思うんだよ。メンバーみんなうまいし、みんなちゃんと百パーセントの演奏をした。ミスもなかったし、空楽の歌も最高だった。なのにだよ。なのに、うちら最高に良かったよねって思えないんだよ」
「おれも同じ。他が強すぎたよな」
瑠海は六弦の言葉を聞いて六弦を指さした。
「それ。それなんだよ。他の出演者があたしたちより良かった。でもなにが良かったんだろう。ソロで出た三人はさ、みんなそれぞれ自分の世界観があってそれを発揮してたと思うんだよね。だからなにが良かったのか、なんとなくわかる。でもバンドの方は、あの龍が嶺のバンドとか国士の人たち、すごい良かったとは思うんだけど、彼らのなにが良くて、あたしらのなにがダメなのかがよくわからないんだよ」
瑠海はそう言うと机の上で左右の手を組み、その手を見つめながら「それがわからないまま練習を続けても、前進できないんじゃないかって気がする」とつぶやいた。
「ね、澤木さんはどうかな。当日見てくれてたじゃん。あの人なら、なんか思ってること、厳しいことでも、言ってくれそうじゃない?」
琴那が顔を上げて言った。
「聞きに、行こうか」
瑠海は椅子から立ち上がって言った。
「行くって、どうやって。澤木さん東川に住んでるんでしょ?」
「お店やってるんだよ。行けば多分会える」
「だから、どうやって行くんだよ、東川まで」
六弦が両手を広げながら言った。
「自転車で。たぶん四台あるよ。ここからだとのんびり流していって四十分ぐらいで行ける」
「サイクリングか。気持ちいいかもしれないね」
琴那が言った。
「ここ鍵かけていくから楽器とか大きい荷物は置きっぱなしでいいよ」
瑠海は練習場を出ると、隣のもっと巨大な倉庫へ向かった。空楽たちもみんなついていった。巨大な倉庫の正面には大きなシャッターが下りていて中の様子は外からは見えなかった。瑠海がシャッターの横にあるアルミドアを開き、中に入って照明をつけると、巨大なホイールローダーが照らし出された。
「うわ。すごい。これ瑠海んちのなの?」
空楽はホイールローダーを見上げて声を上げた。
「うん。冬場はうちのお父さんがこれでこの辺一帯を除雪してる」
「だってこれ、よくバス通りの除雪とかしてるやつだよね」
「個人でこれ持ってるのはいろいろすごいな」
六弦も見上げながら言った。
「わけがわかんないよ。うちのお父さん曰く、これスーパーカーみたいな値段らしいよ」
「だよね」
「しかも、この倉庫にも同じぐらいの値段かかってるらしい」
「いろいろぶっ飛んでるな」
琴那も感心して言った。
「というわけだからなのかは知らないけど、自転車もいっぱいある」
瑠海が指さした先に、いわゆるクロスバイクというタイプの自転車が並んでいた。
「これお父さんが大事にしてるやつなんじゃないの? そんなの借りたらまずいんじゃない?」
琴那が言った。
「大丈夫。大事にしてるやつはあそこにあるから」
瑠海が壁を指さすと、壁に見るからに競技用みたいなロードバイクが2台つるされていた。
「あっちがガチなやつで、この下にあるやつは普段乗りのやつ。どれが誰のとかなくて、家族がその日の気分で適当に乗ってる。さすがに全部借り出していくから一応ここに書いておこう」
そう言うと瑠海は壁にかかっていたホワイトボードに“チャリぜんぶかりてく るみ”と書いた。
四人はそれぞれ自分の体格に合わせてサドルの高さだけを調整した。
「こういうの乗り慣れてない人は跨った状態で足の裏全部つくぐらいの高さにしたほうがいいかも。慣れてる人はペダル踏んだ状態で膝がちょっと曲がるぐらいの高さにするんだけど、そういう高さにすると止まった時にサドルから降りないと足が地面に付かないからさ」
「うち家でもクロス乗ってるからそういうセッティングの方がいいな」
琴那はそう言って自分でサドルの高さを調整した。
「あとこれ、乗り慣れてない人は最初ほんとにお尻が痛くなるよ。いきなり四十分も乗るとお尻が終わるかも」
瑠海の言葉に六弦が笑い出し、「終わらないでくれ、おれのお尻」と言った。
空楽と六弦は普通の自転車風に、足の裏が完全につくぐらいの高さに調整した。
四人で自転車を倉庫から出し、瑠海が二つの倉庫を両方とも施錠して、一行は東川を目指すサイクリングへと繰り出した。瑠海の家から畑の間の道路を通ってバス通りまで出ると、あとはひたすら一本道だった。およそ十キロメートルの道のりを軽く流すようなペースで進む。瑠海が仲間たちに貸し出した自転車はどれも入門クラスのクロスバイクで、前三段後八段の二十四段変速ギアが装備されていた。空楽ははじめてこのクロスバイクという種類の自転車に乗った。ペダルの回転が自転車の前進と無駄なく直結しているような感覚があり、少ない力で長い距離を移動できるような気がした。一行は瑠海を先頭に、初心者の空楽、六弦と続き、後ろから琴那がついてくる縦一列で進んだ。距離はそれなりにあったけれど起伏のない地域なのでそれほど大変なところはなかった。
長い直線道路をしばらく進んだあと、先頭を行く瑠海がスピードを緩め、路地を左へ入っていった。景色が瑠海の家のあたりのように畑中心のものになり、瑠海は途中一度右折して平原を進んだ。遠くには大雪の山々が見えていた。やがてどこかで見たようなかまぼこ屋根の倉庫が見えてきて、瑠海はその倉庫のある敷地へ入って行って自転車を止めた。空楽たちもそれに続く。倉庫の隣に黒っぽい外壁の平屋の建物があり、様々な色の木を組み合わせて作られた看板がかかっていた。看板には“珈琲 涼月”と書かれていた。
「ここだよ」
「これは、入りにくい店だなあ」
琴那が言った。
「外から見ただけじゃコーヒー屋さんだとはわかるけど、いくらぐらいかかるかとか全然わからないよね。ここに集まってくる高校生すごいな」
「たしかに知らなかったら入れないよね」
瑠海はそう言うと重そうな扉を開いた。扉は短くきしんで開き、内側につけられていた風鈴が澄んだ音を響かせた。入ってすぐのところに使い込まれた風合いの大きな焙煎機が置いてあった。店内は中央に大きなカウンターテーブルがあり、向かってその右手側が厨房になっていて、低くフュージョンのような音楽が流れていた。奥の方にいた澤木が瑠海を見留め、「あ、いらっしゃい」と言った。
「こんにちは」と口々に言いながら一行はカウンターの奥から瑠海、六弦、琴那、空楽の順に座った。
「みんなで来てくれたんだ。嬉しいね」
澤木はそう言いながら水を用意して四人の前に出した。空楽は店内をぐるりと見回した。壁には大小さまざまなモノクロ写真がかけられていて、空楽たち以外に客はいなかった。
「コーヒーでいいのかな? アイスコーヒーもできるよ」
「あ、うちアイスがいい」
琴那が言った。
「アイスの人」
六弦が手を上げながら訊くと、全員手を挙げた。
「アイスコーヒーを四つお願いします」
空楽が注文した。
「かしこまりました」と言って澤木は頭を下げ、電動のコーヒーミルで豆を挽き始めた。
「澤木さん、今日はちょっとお願いがあって来たんです」
瑠海が言った。
「お願い? なんだろう。聞くよ」
澤木は作業をしながら答えた。
「忌憚ない意見を聞かせてほしいんです。澤木さん、夏祭りのとき見に来てくれてましたよね。あたしたちの演奏、どう思いましたか?」
澤木は瑠海の顔を見つめ、他のメンバーの顔もゆっくり見渡した。
「とってもうまいと思ったよ」
たっぷりとメンバーの顔を見たうえで、澤木はそう言って言葉を切った。ポットをコンロにかける音、電動ミルから粉を取り出す音、ドリッパーにフィルタをセットする音などが、店内に低く流れている音楽と絡み合った。
「その先を、聞かせてほしいです」
瑠海が真剣な顔で言った。澤木はそれを見て頷いた。
「君たちの演奏はとてもうまかった。それこそ、プロみたいだなと思った」
澤木はそう言うと四人の反応を眺めた。
「四人ともわかってるみたいだね。僕は、褒めてない。君たちはプロみたいにうまかった。これは、褒め言葉じゃない」
空楽は自分の中にあった曖昧な形をしたなにかがはっきりと刃になり、自分の中のどこかに突き刺さるのを感じて思わず胸を押さえた。
「君たちの演奏はいろんなことがよくわかっている人の演奏だった。こういう曲のときはこうすべき、歌のバックではこうすべき、ギターソロはこうすべき、そのバックではこうすべき、盛り上がりはこうすべきで、静かになるところはこうすべき。全部、模範解答みたいだった。駆け出しのソロアーティストのバックバンドを若手のスタジオミュージシャンみたいな人で構成したらこうなる、みたいな演奏をしていたよ」
空楽たちは全員、なにも言えずに黙っていた。
「あのあと最後に国士夢想っていうバンドが出たでしょう。あのバンド、カッコよかったねえ」
澤木は沸いたお湯の温度を調整してドリッパーに注ぎ始めた。あたりにコーヒーの豊かな香りが広がった。
「国士夢想は特に演奏力の高いバンドじゃないと思った。演奏は君らの方がずっとタイトで良かった。だけど彼らの音楽は良かったね。伝えようとしているものがあって、それを自分たちの色で描いていた。空は青く塗らなくちゃとか、木の葉っぱは緑に塗らなくちゃとかじゃなくて、空が真っ黄色でもいい、おれたちは黄色い空を見せたいんだ、っていう力があった。だから音楽に妙な説得力があった。どうあるべきかじゃなくて、どうありたいかで音楽していた」
「それだ。それですね。うち、もやもやしてたものの正体がわかりました。ありがとうございます」
琴那が熱っぽく言った。
澤木は四つのグラスを並べて氷を入れると、そこに出来上がったコーヒーを注いだ。氷はたちまち融けて形を変えながら居ずまいを正し、かちゃかちゃと音を立ててから落ち着いた。
「はい、どうぞ」
できあがったアイスコーヒーにストローを差して澤木が両手を広げた。
「君たちなら伝えても大丈夫そうだから付け加えると、君たちのバンドには一つ、圧倒的にいいところがあった」
四人とも澤木の顔を見上げた。
「それは歌。空楽ちゃんの歌は、ずば抜けてよかった。僕は個人的にだけど、あの粒ぞろいの出演者の中で、断トツ、空楽ちゃんの歌にしびれた」
空楽は自分がうまく息をしているのかわからなくなった。
「これはすごくいい話だけど、でも今の君たちにはあまりいい話でもないかもしれない。僕が思ったのは、曲や詞は誰が作っているんだろう、っていうことなんだよね。なぜかというと、曲や詞を作った人とこのボーカルの子だけいれば、バンドはいなくてもいいってなりそうだな、と思ったから」
「詞も曲も、作ったのは空楽です」
瑠海が言った。
「そんな気がした。するとどういうことになるか。このボーカルの子一人でいいんじゃない? という話になる。そして空楽ちゃんがソロアーティストとしてデビューし、他のメンバーは切られてしまう」
重い空気が流れた。空楽は下を向いた。目を閉じると溜まっていた涙がこぼれ落ちて膝を濡らした。
「僕が若いころやっていたバンドはね、そうやってボーカリストだけが引き抜かれて解散した。でも引き抜かれたボーカリストも結局デビュー作がぜんぜん売れなくて、そのまま消えてしまった。こんな話は全然珍しくなくて、そこらじゅうで起きているんだよ」
「ありがとうございます」
瑠海が澤木に礼を言って頭を下げた。
「これでやるべきことがはっきりした。一回今までやってきたことを白紙に戻そう。あたしは模範解答で良い成績を取ることばかり考えてた。こういうジャンルならこういうのが正解って、多分意識的にも、無意識にもそう思ってやってきた。それをやめる。あたしがどうしたいのか。空楽の持ってきた曲を、こういうのならこうでしょとかじゃなくて、あたしならこうするんだっていう風にやってみる」
「おれもまったくそれと同じだよな。思い当たりすぎてなにも言い返せない。瑠海も言ってたけど、おれは器用なんだよな。どんなジャンルでもそこそこそれっぽくできちゃう。だけどそれ、裏を返せば全部中途半端ってことなんだよな。おれ程度に弾けるやつなんていくらでもいるのに、なんかなんでもそこそこできるみたいなところを目指してた気がする。今のおれの演奏ならたしかに、もっとうまいスタジオミュージシャン呼んできて差し替えたらおれいらないんだよな。それはおれにもわかる」
「つまり、うちらはうちらじゃないとできない音をやればいい。ここにしかいない空楽がいて、その空楽の歌をほかの誰にもできないような演奏で見せるってことだ。どんなにうまい人を連れてきてもできないような音にする」
「よし。一回ぶっ壊そう。へんな頭でっかちをやめて、もっとおれたちの音を探そう」
下を向いたままの空楽の周りで三人が口々に言ってアイスコーヒーに口をつけた。
「ねえ」
瑠海が両手でグラスを包みながら言った。
「合宿しない?」
「合宿?」
「うん。うちで。風呂はどっか日帰り温泉に行くとかしてさ。キャンプ用の寝袋とかで、あの練習場に泊まり込みで練習するの」
「いいね。中学んとき吹奏楽部で合宿したことあるんだけど、合宿するとメンバーの結束力みたいなものは上がるよ。お互いのことがよくわかるようになるから」
琴那も賛成した。
「いいんだけど、さすがに女子の家におれまで泊まりこみで合宿するのはいろいろまずいんじゃないかね」
六弦はそう言うとアイスコーヒーをすすった。
「二人きりとかじゃないからいいんじゃない? もし気になるなら雫も呼んだら来るだろうし」
「雫を呼べばいいっていう発想も意味がわからんけどな」
瑠海と六弦は笑いあった。
琴那はまだ下を向いている空楽の肩に手を回した。
「ね。気づいたでしょ、空楽」
空楽は顔を上げて、赤く泣き腫らした目で琴那を見つめた。
「いつか言ったじゃん、うち。天才ってなろうと思ってなるもんじゃなくて、気づくんだって。気づいたでしょ。空楽こそが天才だったんだよ」
「わたし天才じゃなくていい。みんなとバンドしたいよ」
空楽が泣き声で言うと琴那は微笑んだ。
「空楽、見てよみんなを。このままじゃまずいって気づいて、じゃもういいやって投げるようなやついないよ。全員、空楽の歌をうまいミュージシャン連れてきてもできないような音にしてやる、って思ってる。今まで積んできたものを一回ぶっ壊すぞってことをためらうようなやつもいない。いなくても同じだと思われるようなバンドのままでいいなんて、誰も思ってないよ」
「やってやろうじゃないの。空楽にはこのバンドじゃなきゃって言われるようにさ。ぜったいいらないなんて言われないバンドにしようじゃないの」
六弦は親指を立てながら言った。
「あたしはうまくなりたいと思ってやってきたけどさ。うまいだけでいいとは思ってない。なのにただ卒なくうまいだけになってた。いつの間にか自分がどうなりたいのかもわからなくなってたと思う」
瑠海は空楽と目を合わせると微笑んで続けた。
「この前空楽言ってたでしょ。夏祭りのとき。この先の景色を見に行こうって。行こうよ、もっとずっと先までさ。見に行こう、みんなで」
空楽は瑠海の目を見て頷いた。
「悪いけど、あたし、天才は空楽だけじゃないと思ってるんだよね」
「当たり前だろ。見せるぞ、おれたちの本当の力を」
三人は琴那の前で拳を突き合わせた。空楽はそこに右手を握って寄せた。
「天才だったね、わたし。すごい仲間に出会う天才だ」
四人は拳を触れ合わせて笑った。
空楽はやっとアイスコーヒーのグラスを手に取ってストローに口をつけた。
「ああ、おいしいー」
空楽の声が大きく、長く響き、澤木とメンバーたちの笑い声があたりを包んだ。
《つづく》
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