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日本の公共に寄与する「お互い様」と、誰かの私利私欲が混ざる「お互い様」のこと

①「お互い様」の用例

集合住宅の3Fで、夜の21時にマツケンサンバで友人数名と踊った人が、注意に来た管理会社の職員に「お互い様ですから」と述べたら、それは「我慢させろ」という意味も含むかと思います。なんとなくマツケンサンバが浮かんだのであって、架空の話です。ダメ、風評被害。

対して、同じ状況でも、2Fの住民がお詫びと説明に来た管理会社の職員に「お互い様ですから」と述べるなら、許す文脈の可能性があります。

個人的に、「お互い様」は、我慢して公共の幅を確保する時に用いるとスマートに感じます。逆に、開封して使用した商品を返品したいと仰るお客様が「お互い様」と言い出したら、慎重に対応します。おそらく常識が異なるので。

②社会とお互い様

刑法のみで社会を機能させるのではなく、不文律もあります。「お互い様」は、不文律を維持するのに役立っています。「許す」のではなく「お互い様」という抽象的な事柄に意識を向けさせる機能があります。

しかし、論理的ではなく、慣習や伝統が背景にあるので、抑圧したり黙らせることにも利用できます。譲り合う精神性は尊いです。けれど、支配したりするのに用いるのは「お互い様」の濫用だと思います。

では、何を目安に用いたら良いのでしょうか? 図書館や電車の優先席が分かりやすいです。図書館という場なら、自分も読みたい本を先に借りた人がいても、お互い様。けど、本を傷めてしまったなら、謝罪や弁償が必要。電車の優先席なら、優先すべき方がいらしたら、席を譲ることはお互い様。対して、スマホでイヤホンを使わずに大きな音を出してゲームしている方がいたら、それはアウト。

③紛い物の「お互い様」は何か

キーワードを、一言にすると公共です。
もちろん、プライベートな家庭の中でも譲り合うけれど、問題にしているのは「お互い様」を支配の道具に使うこと。なんか、公平そうにも聞こえますし。

その「お互い様」は、具体的に公共の何に寄与するのか、考えると、支配の方便なのか、あるいは「冷静になれよ」と客観視のサポートをしてくれているか、区別しやすいかもしれません。

例えば、「困った時はお互い様だろ」と、残業を押し付けようとする同僚は、支配しようとしていますよね。「お互い様ではなく、あなたのメリットしかない!」と言えたら、楽ですけど。

なお、個人的には「お互い様ですよね」と、交渉を持ちかける方は、警戒します。だから、他者ではなく自分の行動に用いると無難に思うのです。

お互い様は、公共を考える際の、身近な良い題材です。


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