青ヶ島村「無番地」と土地登記
周知のとおり、青ヶ島村内の住所は全域が「東京都青ヶ島村無番地」であり、島内は氏名だけで配達される。これは郵便などの住所を省略しているわけではなく、住民票でも同じように表記されている。これについて、登記に関して憶測が飛び交っているため、簡単にまとめておく。
結論から言うと、現在はほとんどの土地が登記されている。もっとも、後述するように平成の国土調査までは未登記だった土地も多く、現在も特別の事情が無ければ所有権移転登記などもしないようである。
まずは最近に登記情報の変動があった土地から紹介したい。この土地は平成18年に住宅ローンを借りるにあたって所有権移転登記と抵当権設定登記がされている。しかし、相続登記が2代まとめてされただけでなく、国土調査によって面積が3倍になるなど登記情報は明治時代頃から放置されていたことがわかる。
しかし、このような事情が無ければ明治時代の保存登記以来そのままとなっている登記情報も多く存在し、明治時代の地上権がそのまま残っている土地もある。また、そもそも未登記であった土地も多かった。
村史では
として、明治33年付けの未登記の村有地について登記を願い出る八丈島区裁判所宛の文書を紹介している。
村史で願われた地籍調査は平成になって実現し、多くの土地が職権で表題登記された。その多くは、所有権保存登記などはされないまま今に至る。
村役場のある土地も平成22年にようやく所有権保存登記がされており、長らく登記の慣習が無かったことを伺わせる。なお、この土地を底地とする建物は未だに登記されていなかった。
公図を見ると100番台の土地の周囲なのにほとんど1000番台の土地が順序良く並んでおり、これらは平成の調査でまとめて付けられた地番の可能性が高い。ほとんどの土地は未登記だったようである。
一方で、明治時代から放置されている登記情報を見ていると、面白いものを見つけた。
「八丈島青ヶ島村」という表記は郡の代わりの表記で、昭和63年まで使われていた(出典)そうだが、問題はそこではない。明治時代の登記記録では、住所が「無番地」ではなく、「XX番戸」「XX番」と、他の地域と同じ形で記載されているのである。当初は本土と同じような制度を導入したが、長くは維持できず、住所としては定着しなかったのではないだろうか。平成の国土調査までは未登記で地番の無かった土地も多く、多くの土地が文字通り「無番地」だった。現在はほとんどの土地が調査されて地番が付いたものの、引き続き住所は「無番地」が続いている。
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