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鎌倉街道(古道)ストーリー

紅葉真っ盛りの鎌倉 鶴ケ岡八幡宮 を起点に 来年の大河ドラマを楽しみに 鎌鎌倉街道の古道歩きをスタートさせました。

東京から小田急江ノ島線で いざ 鎌倉へ!

その途中で江ノ電の車窓から見えた湘南の海 の美しかったこと

これからの旅に エールを送ってくれているようで ワクワクでした。

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混雑を避け 平日にスタート。朝が早いせいもあり、小町通りもシャッターが降りている店ばかり 人も閑散としていて スイスイと歩き 八幡宮へ。

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広い八幡宮の全てを歩くと時間がかかりそうなので とりあえず 一番先頭に見える本宮?様にお参りしました。こま犬もちゃんとマスクをしていました!

お清めの水場はコロナで 使えないように なんと綺麗な(立派な)お花が活けられていました。さすが八幡宮様!

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階段を登り 手を合わせ 最終到達地点の高崎城趾まで 無事辿り着きますよう 祈りました。お賽銭は100円入れました。これで足りますか?

そして おみくじ 鳩みくじ を引き ましたら 「末吉」でしたが

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何事も欲張ってはいけない と 欲の強いの私への戒めと思い 境内に結んで来ました。

そして いよいよ新田義貞が 鎌倉幕府を滅亡させた あの「いざ 鎌倉」で有名な(鎌倉に攻め入った)街道を逆に北へ向かう旅へ。(鎌倉街道上の道 カマクラカイドウカミノミチ と言います)

八幡宮の西の鳥居から街道へ。細かい史跡はあるようですが 1日に歩く距離や時間を考えると そうそう 旧跡を眺めていられません。ところどころ日本史や伝説で知られている場所をチョイスし スイスイ歩いていきます。

必見 北条政子の墓

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ここは わかりにくい場所でした。

寿福寺というお寺の外門から入って 途中で左に曲がっていくと階段状の墓地に入るのですが、一番上の平らな場所で墓石が数多く並んでいて(大佛次郎ほか有名人の墓多数あり) 探しても探してもどこに政子の墓があるか 案内もなく・・・奥の岩壁のところに穴が掘られていて そこに小さな祠を祀ってあるところが 政子の墓 説明板に書かれていました。

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こちらは 源実朝の墓 だそうです。頼朝と政子の間に生まれ 激しい政争の中で第3代将軍になりましたが 28歳で八幡宮の大銀杏の影に隠れていた 頼朝に追放された兄の息子の「公暁」に殺された実朝。ここに実朝のお墓はあるけれど 首は持ち去られ 秦野に埋められたという説などがあるそうだ。実朝は歌人だった。

そのさきは 亀ヶ谷切り通しに出る。周囲には昭和あたりからと思われる住宅が立ち並ぶ。切り通しの山には自然が残っていて あまり宅地造成は進められていない気もする。

その先にあるのが あの有名な「仮粧坂」

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この画像でもわかるように かなりの急登。新田義貞はこの山向こうから義貞本人が仮粧坂で迎え撃つ鎌倉幕府軍を倒し 鎌倉入りし総攻撃した。確かにここは狙われるとは思わなかっただろう。切り通しは頼朝の名案だったと言えるかもね。

坂を登りつめたところに「倒木あり、注意」の看板。通行止めか と誤解して坂道を戻ろうとしたが 住民の方に道を尋ねると いや大丈夫だと教えていただき、坂道を引き返し 山道を上がった。

道道 小学生たちのグループに何度か出会う。どうやら地図を片手にオリエンテーリング。先生もついているので おそらく道に迷わずにコースを歩いていると思うけど、子どもだけでもいいのじゃないかしら と思った次第。

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仮粧坂を登ったところは 源氏山公園。広い芝生に 小学生たちもお弁当タイム。さあ、こちらも昼食タイム。おにぎりをほうばる。

この鎌倉殿は 若い。結構ハンサムである。頼朝没後800年に この像が建てられたらしい。この源氏山は八幡太郎義家が勝訴祈願をしたところらしいです。

この源氏山公園から山を下るときには 結構広い通りを歩く。どう見ても古道とはほど遠い道。ただ この、道を下ったところで狭い住宅のなかの道に入るので、この辺から古道由来と思えた。その狭い道筋には由緒ある寺も多い。頼朝に信頼された梶原景時の供養塔とかいうものもあるが 今は小学校の校庭の中なので 許可をもらって見ることができるそうだ。・・・もちろん省略して通り過ぎる。

この道沿いに 石塔や道祖神らしきものもあり 確かにここは街道だったと確認した。

その先で突然 広い道路(多分県道)にでた。道路の真上に湘南モノレールが通っている。 旧国鉄大船工場跡地という だだっ広い深沢スポーツ広場 がある。

ここは古戦場で、元弘3年の元弘の乱 鎌倉に攻め入った新田軍と守りの北条軍が激しく戦った場所だという。この広い敷地の道路側の端に 「泣き塔」という供養塔があった。この辺のことに詳しい知人から 「この泣き塔を見てはいけない 祟りがあるらしい 」とメールをもらった。そう言われるとそれじゃっと覗きたくなり 金網の塀に囲まれているので あちこち入り口を探すが 残念ながら見つからず でした。戦場で戦死した兵士の泣き声かと思ったら 供養塔をここから別な場所に移したら 元の場所に戻りたいと毎晩泣声がしたので今の場所に戻したそうで そのために「泣き塔」という名がついたとか・・なあんだ、ホームシックな供養塔 と思ったら何も怖くないし 祟りというのは風評じゃないのかしら きっと。泣き塔を後に 小高い丘(住宅地)の道を登り 急坂を下りて鎌倉を後にした。

丘を越えたところで 道の向こうに「柏尾川」が見えた。

柏尾川にかかる「町屋橋」を渡ったところに 江ノ電バスの「湘南車庫」があり、そこから藤沢駅行きのバスが出ている。発車時刻を見たら なんと あと2分で そのバスが来る。

はい、今回は ここで終了。次回は藤沢駅からこの湘南車庫まできて 2回目の街道歩きをスタートする予定。

11月の初め 快晴で街道歩き日和 でした。      2021年11月1日




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