彼らは春

春泥棒、という曲がある。

MVを見た瞬間、あれ、ノーチラスの人やん。となった全編3DCGアニメーションの動画も相まって、落ちサビの部分からラストにかけての盛り上がりでわたしは必ずと言っていいほど泣く。

n-buna氏は、春を“月並みだが命にしよう”と、
春を命、風を時間に喩え、この作品を春泥棒と名付けた。

(以下引用URL)

 https://x.com/nbuna_staff/status/1347878777817206789?s=46&t=wO7VGGHkXqnDYgvrtYZNlw 

そしてMVは前作3rdアルバムの続編として、同じ登場人物である音楽家とその妻を取り扱っている。
(わからないならぜひアルバム聴きしてくれ、盗作というアルバムである。)

命を題材にする歌や小説などはこの世にまあ、たくさんと言って良いほどありふれており「この映画展開読めるな〜」と思えばヒロインが事故で亡くなっていたりする。
だが、それらの表現方法で命を題材にしても月並みとは思わなくなる。
そんな技術が巧みに詰まったものが春泥棒なのだ。

なんて理解した気になっていたのだが。


音楽家の寿命は短い。
名だたるロックスターは27年と幾日でこの世を去った。
今は昔。と思う人間もいるだろうが、27歳のジンクスはいつまで経っても消えやしない。あの頃わたしはヨルシカが消え去っていくのではないかと不安だった。
n-bunaさんの歌詞もメロディーもアレンジも、suisさんの歌声も、彼らの音楽はどこをとっても全て儚いからだ。
春泥棒という楽曲を発表した当時、とうとう彼らはわたしの前から、舞台から去ってしまうのでは。なんて考えていたほどにわたしは不安で仕方がなかった。
彼らは今も生きている。わかっている。わかってるんだ。だがその不安はあのジンクスのように消えやしない。

彼が春を命に喩えるなら、わたしは彼らを春に喩えよう。
時間はいやでも過ぎ去っていく。
もし彼らが表舞台から姿を消した時、わたしは初めてあの楽曲を理解したということになるのだろう。

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