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ミルクスキン

「子供は、男の子女の子の順がいい」

それが彼のくちぐせだった。

「いいね、お兄ちゃんっこになるよ、きっと」

そういって私は、彼の腕のなかで微笑むのが
癖だったし、決まりきった返事だった。

午前3時、
私の仕事終わり。

家に帰って彼とまどろむ

肌と肌がふれ合う感覚は
生まれたての赤ん坊を
抱き締める気分にさせた。

抱き締めたことはないけれど。

どことなく、
そんな気分にひたっていたのだ。

肌の弱かった彼は必ずお風呂上がりに
ボディクリームを塗っていて
その香りが
ミルクスキンだったからかもしれない。

仄かなミルクの香りを抱き締めて
私の一日は終わっていく。

そんな日々を過ごしたベッドから
温もりが消えたのは
9月下旬の
夜明けが少し寒くなってきたころだった。

「今日も帰ってこないんだね。」

そう打ったメールを
何度送りそうになっただろうか。

でもそれはしない約束だった。

送信ボタンに触れそうになるたびに
あの日の会話を思い出す。

あたしの家の狭いシングルベッドに
彼が潜り込んできたあの日。

二人でそっと誓いをたてたのだ。

「意地はってけんかしない」

「お互いいじはりだもんね。」

「いってきます、ただいまのキス」

「それはどうだろ。」

「お互いの言い分をきちんと聞く」

「…この前はごめんなさい、」

「料理とお皿洗いは分担!」

「へいへい。」

「あ、あと、」

「他に好きな人ができたら、そっと離れる」

「…うん。」

「お前は恋多き女だからな。」

「そんなこと、もうないのに。」

「そしたら、離れたら、
俺は追いかけないから、そーゆー約束。」

「わかった。大丈夫だよ。」

あの日から早くも3年の月日がたっていた。

あたしのために作られた最後のルール

まさか彼が使うことになるとは
思ってなかった。

無言のさよなら

世間ではこれを「失恋」というのだろう。

でもあたしは

そう思うことがまだできてはいない。

短いようで長かったのだろう。

流れる月日の中で

知らず知らず変わったこともあった。

その中に
彼の気持ちが含まれているなんて
思うことができないのだ。

いまでもあたしは夢で答えるのだから

彼と小さな命を抱きながら


「次は女の子だね」

そうして微笑むのだから

あの仄かなミルクスキンの香りの中で

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