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(雑談)自分は悪人であるという仮定が大事

最近どこかで聞いたんだったか、何かの記事で読んだんだったか忘れましたが、すごくいいなーと思い、実践している考え方があります。それはタイトルにもあるように『「自分が善人である」という仮定を捨てる』という考え方、つまり自分は善人ではない、自分は悪人かもしれない、という前提で物事を捉えよう、という考え方です。

どういうことかというと、「自分が正しい」という前提を捨てるのです。たとえば仕事で部下がミスをしたとき。まず真っ先に頭に浮かんでくるのは、「なんで指示したことができていないんだ」とか「なんで教えたとおりにやらないんだ」とか「なんでわからないなら聞かないんだ」という言葉じゃないですか?これらの言葉っていずれも、自分が善人であり、正しいということが前提になっているんです。たとえば1つめの例「なんで指示したことができていないんだ」は、自分は指示した(善人)けど部下がやらない(悪人)という構図ができている。2つと3つめの例示も同じで、自分は正しいことがまず真っ先に脳裏に浮かんでいるから、こういう言葉になっているのです。

しかし、もしかしたら自分の指示がうまく部下に伝わっていなかったかもしれないし、なんなら指示したつもりになっていて、実は指示をしていなかったかもしれない、そういう可能性だってあるわけですよね(実際私はよく、指示したつもりになっていて、実は向こうからすると指示だと思っていなかった、という状況をよく生じさせます)。自分が正しい、自分が善人である、と思い込んでしまうと、そういう自分の側に非や落ち度があった可能性を見過ごしてしまい、部下からすると「頭ごなしに怒られた」という気持ちを抱いてしまう可能性があります。

そして何より、自分が善人であるという仮定は、自分を成長させないのです。通常、自分が正しいという仮定で物事を進めようとする人は、自分を見直すことはしません。なぜなら、後で自分の指示の誤りや落ち度に気づいてしまうと、自分が正しいという仮定が崩れてしまうからです。中には自分が善人であることを否定したくないが為に、過去の失敗を無かったことにしたり、取り繕ったりして、もっと酷いことになるケースもあることでしょう。

でも自分が善人ではない、悪人かもしれない、そう思っていると、部下がミスをしたとき、まず自分の中に落ち度があったかもしれない、という思考で、ニュートラルに、自分の言動や過去の過程を見直すことができます。次は指示の仕方を変えてみよう、次はもう少し早くから確認しよう、そうやって「自分が」どう変わればいいか、という視点で過去を省みることができるので、結果として次、部下と仕事をしたときに、部下がミスをしにくくなるような対応が取れるようになる、かもしれません。

最終目的は「自分が正しいこと」ではなく「仕事がうまくいくこと」ですから、だったら自分は悪人だと仮定していたほうが、いいですよね。仕事に対するスタンスとして、「謙虚でありなさい」とか「反省が大事」とか、色々な言葉で説明されていることと思いますが、「自分が悪人だと思いなさい」は一見暴論のように見えて、実はすごく理に適った言葉だな、と感心したので、今私自身も日々実践するようにしているところです。

実際自分が悪人だ、という前提で物事を捉えるようになると、日々起こる様々な物事の原因って、結構自分にあるよなって思えるようになりますよ。電車に乗り遅れそうになった→早く家を出なかった自分が悪い→明日から少し早起きしよう→そのためには早く寝よう、みたいに、最終的に自分の行動や思考を見直すいいきっかけになりますし、他人を責めることが少なくなります。諸々がいい方向に向かうようになりますから、おすすめですよ。卑屈になる必要は無いですが、自分が常に正しいという前提は、ちょっといったん置いてみましょう。

そんなお話でした。見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました、ありがとうございます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!