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(雑談)インターネット上に「議論」なんてものは存在していないと思うし、誰かに「意見する」権利は無いと思っている

私は「議論」という言葉が嫌いです。正確には議論という言葉そのものというよりも、なんでもかんでも議論すればいいと思っている姿勢や風潮、「意見」を言ったほうがいいみたいな雰囲気が、総じて嫌いです。そもそも議論なんてのはごく限られた状況でしか成立しないと思っていますし、意見も究極は誰が言うかが一番大事であって、意見を言っていい立場にない人が好き放題言う状況は間違っていると思っています。

両者に共通しているのは「責任の所在」だと思います。これは私の個人的な感覚なのですが、議論というものが成立するのは「参加者が全員共通の責任の下にある状況"だけ"」だと思うのです。また誰かに意見をすることが認められているのも、基本的には「同じ責任を共有している相手」に限定されると考えます。無責任な第三者が話し合いに参加して、偉そうに議論ぶったり、他人に意見したりするのは、間違っているということです。

ですからSNSだったり掲示板だったりそういうインターネット上の公開空間において、議論というものは成立しません。インターネットは自由空間ですから、良くも悪くも、責任は共有されていませんからね。その状況下で起こる自称「議論」は、言ってしまえば「議論ごっこ(笑)に興じている」だけであって、そういう自分がカッコイイ、周りに見てもらって自己顕示欲を満たすだけの遊びです。意見についても同じことが言えます。たとえば配信者さんだったりSNSの企業アカウントだったり、野球の球団や会社の方針に対して「私はこう思う」みたいに意見を投げつけている人なんかは、どの立場で物言ってんの?というふうにしか見えないのです。

インターネットに限らず現実世界でもそうですね。会社のやり方が気に食わなくて、若手社員が上司や社長に物申す光景は、もちろん威勢が良いという見方もできますが、果たして本当に良いことなのか?上司や社長と同じ目線で物事を捉えていて、全体を見たうえで発言してるのか?仮に君の意見を通したところで、悪い影響が生じたとき、その責任は共有できるのか?そのうえで物申してるのか?ということです。

たとえば会社の方針で、社長や役員が若手社員の話を聞こう!となっているなら、そのときは物申していいと思うのです。それはインターネット空間だったら、配信者さんが視聴者さんから意見を聞く目的で配信をしているときだったり、企業のご意見窓口とかが用意されている状況です。そういう状況においては、こちらに意見する権利が与えられているからですね。ただそうでない状況下、究極は、自分と関係ない部署の話だったり関わってすらいない人に対して何かしら意見したり、配信者さんにコメントで意見したりするのは、周りから見ればただただ恥ずかしいことをしているだけですから、やめたほうがいいと思います。

感染症が始まったばかりの頃、客船だったり水際対応について、Twitter上で様々な意見が飛び交ったり、こうあるべきなんじゃないか?と議論(笑)が交わされたりして、地獄のような空間が広がっていたのを目の当たりにしました。その後Twitterは基本的に見ていないというのは過去何回も書いてきたとおりなのですが、たとえば配信を見ていて配信者さんに物申している人を見たりすると、なるほどなと思ったりしますよね。だからどうこうという話ではないのですが。

見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました、ありがとうございます。

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