(雑談)SNSは「交差点」
昨日の記事でちらっと書きましたが、以前関係先の大学生の子が言ってたことで、おおっ、なるほどな!と思ったことがあったので、そんな話を。
雑談の中ですが、学生と話をしていて「SNSにどういうイメージを持っているか?」みたいなテーマになったことがありまして、その時ある方が「Twitterは渋谷のスクランブル交差点に新宿アルタ前を足したもの、インスタグラムは代官山とか表参道の交差点、Facebookは丸の内の正面の、それぞれ交差点のイメージ」と仰っていたんですね。最初は「ん?どういうこと?」と思ったのですが、その方曰く「人と人とが交わる場所がSNSで、仲いい友達と会話をする人もいれば、絵を描いて掲げている人もいる、喧嘩をしている人もいれば、街宣車に乗っている人もいる。時々広告トラックが走る。そんな様子をなんとなく見ながら歩くのがSNSだから、まさに交差点の風景そのもの」とのことでした。
これ聞いたときは衝撃で、絶対パクってnoteに書こうと心に決めたのですが、かれこれもう数年間温め続けてしまいまして、昨日記事を書いていてふと、そんな話があったなと思いだしたところです。
SNS=交差点、言い得て妙ですよね。おっしゃるとおり、タイムラインには渋谷のスクランブル交差点の如く、いろんな人が「いる」のです。多くの人は自分に対して影響を与えてくるわけでもなく、ただ「いる」。そしてSNSに対して投稿をする行為は、交差点に対して自分から影響を与える行為なのです。誰に対するわけでもないつぶやきをボソッと喋ったり、交差点の角を借りて自分の描いた絵や自分の作った作品を並べてみたりする。
そして交差点の雰囲気が町によって異なるように、SNSが変われば、そこにいる人の雰囲気もまた変わる。それがインスタグラム=代官山や表参道のような、おしゃれな雰囲気、Facebook=丸の内のビジネス街の雰囲気だと表現したのです。これもまた的確ですよね。じゃあYoutubeは秋葉原の電気街でしょうか。
さらに付け加えるなら、フォロー数=声の大きさ、でしょうかね。実際のところフォロー数の多い人のほうが発言力が大きくなる傾向にあるようです。
そういうふうにイメージを持つと、なおさら、昨日の記事に書いたように「そこでの自分の言動」については十分に注意をしたほうが良いでしょうね。昨日書いたのは、感情をSNSで爆発させないほうがいいということでしたが、それは人が行き交う交差点で大声で怒っているようなもので、周りの人からすればそれは決して気持ちのいいものでは無いですし、幼稚な印象を与えます。
SNSのSは「Social」つまり社会なわけです。現実世界でやらないほうがイイことは、SNS上でもやらないほうがいい。誹謗中傷とかもそうですね。面と向かって人に言えないことを、SNSだから言っていい、ということではないのです。
ところで、私は中学生のころからインターネットに親しんできた、今となっては「インターネット老人会」に一歩足を踏み入れている世代なのですが、初期のインターネットは今よりもっと混沌としていて、誹謗中傷どころか罵詈雑言の嵐でしたね。2chで、私が良くみていた鉄道模型関係のスレッドでも、誰かが自分で作った模型の写真をアップすると「下手」だの「出直してこい」だの言われたものでした。「火災車両」なんて言葉もありましたね。でも当時は、インターネットってそういうものだ、という気持ちで見ていましたし、申し訳ないですがそういう罵詈雑言も含め一種のエンタメだと思って見ていました。そもそも当時のインターネットは「SNS」ではなかったんですね。ソーシャルというには規模があまりに小さく、参加者も限定されていたから、そういう(良くも悪くも)地獄のような場であっても成り立っていたのでしょう。たとえるなら、居酒屋の個室のようなものでしょうか。
その感覚で、今のSNSに入ってしまうと、今はもうダメでしょうね。受け入れられないどころか、問題になると思います。だからいいとか悪いとかではなくて、そういうものだということを踏まえて、SNS上で発信をする際にはそれなりに心得て発言をすることが求められるのかなと思います。
何であれ、SNS=交差点説、的確で好きです。
見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました、ありがとうございます
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